沖泊恵比須神社

沖泊恵比須神社

石見銀山の銀の積出港として、さらに江戸時代には北前船の寄港地となった温泉津(ゆのつ)・沖泊にある、船乗りたちが信仰した氏神が恵比須神社。社伝によれば博多商人・神屋寿禎(かみやじゅてい)が石見銀山を発見した大永6年(1526年)の創建。本殿には室町時代の様式が残されています。

石見銀山遺跡内で現存する最古級の神社建築

筑前国蘆屋浦(現在の福岡県芦屋町)の住人の神託によって創建されたといい、恵比須神社と石見銀山の関連も推測できます。
本殿(一間社流造)の主要部材も日本海側としては珍しい楠(くすのき)。

本殿は17世紀前半、拝殿は江戸時代末期の19世紀中頃の築で、島根県の文化財に指定されています。
石見銀山遺跡内でも現存する最古級の神社建築です。

祭神は、八重事代主神、速秋津彦命、速秋津姫命で、『石見八重葎』には「船人信心別して多し」と記されています。

神社周辺には浜の井戸、上の井戸と呼ばれる共同井戸も現存し、銀を積み出した中世以来の湊町としての原風景が残されています。

名称 沖泊恵比須神社/おきどまりえびすじんじゃ
所在地 島根県大田市温泉津町温泉津
ドライブで 山陰自動車道温泉津ICから約2.7km
駐車場 沖泊港を利用
問い合わせ 大田市観光協会 TEL:0854-88-9950/ FAX: 0854-88-9960
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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