阿茶局の墓(雲光院)

阿茶局の墓(雲光院)

東京都江東区三好2丁目、清澄庭園の東に位置する浄土宗の寺が、雲光院。徳川家康の側室で、2代将軍となった徳川秀忠を養育した阿茶局(あちゃのつぼね)が開創した寺で、境内には大坂の陣では使者として和睦に尽力したた阿茶局(法名が雲光院)の墓があります。

徳川家康の側室、阿茶の墓が江東区雲光院

甲斐武田家の家臣・飯田直政の娘、阿茶。
天正7年(1579年)に家康に召され、小牧・長久手の戦いには陣中に供奉(陣中で一度懐妊するも流産)するなど、家康お気に入りの側室のひとり(家康は生涯で正室1、継室1のほか、側室20名ほどを抱えます)。

天正17年(1589年)に徳川秀忠の実母で側室の西郷局(さいごうのつぼね=宝台院/墓所は静岡市の宝台院、NHK大河ドラマ『どうする家康』では広瀬アリス)が没した後には、徳川秀忠の養育を担ったほか、慶長19年(1614年)の大坂冬の陣では、豊臣方の常高院(じょうこういん=浅井三姉妹の一人、初)や大蔵卿局(おおくらきょうのつぼね=大野定長の妻で、淀殿の乳母)と会見して和議の成立に尽力しています。

さらに寛永7年(1630年)、徳川秀忠・徳川家光上洛時にも帯同、寛永14年(1637年)に83歳で死去し、自らが開創した雲光院に葬られています。
戒名は、雲光院殿従一位尼公正誉周栄大姉。

総高363.1cmの墓塔は安山岩製。
塔身正面には「雲光院殿従一位尼公」、左右側面と背面には阿弥陀三尊の種子(しゅじ=梵字)が刻まれ、「正誉周栄大姉寛永十四丑丁年正月廿日」と記されています。

阿茶局・雲光院
阿茶局・雲光院像(徳川記念財団蔵)
阿茶局の墓(雲光院)
名称 阿茶局の墓(雲光院)/あちゃのつぼねのはか(うんこういん)
所在地 東京都江東区三好2-17-14
関連HP 雲光院公式ホームページ
電車・バスで 東京メトロ清澄白河駅から徒歩10分
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 雲光院 TEL:03-3641-0591/FAX:03-3641-0591
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
雲光院

雲光院

東京都江東区三好2丁目、清澄庭園の東に位置する浄土宗の寺が、雲光院。徳川家康の側室で、2代将軍となった徳川秀忠を養育した阿茶局(あちゃのつぼね)の法名が雲光院。秀忠没後の寛永14年1月22日(1637年2月16日)に死去し、雲光院に祀られて

 

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