宮本武蔵決闘の場
兵庫県佐用町平福、因幡街道随一の宿場町として栄えた平福宿・金倉橋のたもとが、宮本武蔵決闘の場。慶長元年(1596年)、弱冠13歳で人生最初の決闘を行なったのが、この金倉橋のたもとだとつたえられています。『五輪書』自序(序…
兵庫県佐用町平福、因幡街道随一の宿場町として栄えた平福宿・金倉橋のたもとが、宮本武蔵決闘の場。慶長元年(1596年)、弱冠13歳で人生最初の決闘を行なったのが、この金倉橋のたもとだとつたえられています。『五輪書』自序(序…
兵庫県佐用郡佐用町、利神城(りかんじょう)の麓に位置し、因幡街道随一の賑わいをみせた宿場町が、平福宿(ひらふくしゅく)。慶長・元和年間(1596年〜1623年)の30年間ほどは利神城の城下町として、その後は宿場町として栄…
兵庫県佐用郡佐用町平福、因幡街道の平福宿にあるかつて本陣跡が、平福本陣跡(ひらふくほんじんあと)。往時は700坪もの広大な敷地を誇っていましたが、現在は素戔嗚尊神社(すさのおのみことじんじゃ)の「お旅所」で、白壁の門や回…
兵庫県加西市北条町の羅漢寺の境内には、丈1m前後の459体の素朴な石仏が並んでいます。それが北条の五百羅漢。慶長年間(1596年~1614年)頃の制作と推定される高見石(凝灰岩)に刻まれた五百羅漢像で、誰が何の目的で作っ…
兵庫県加西市鶉野町、第二次世界大戦の最中に海軍が開設した鶉野飛行場(うずらのひこうじょう)・滑走路跡の南西側にあるのが、鶉野飛行場跡地巨大防空壕シアター。巨大な地下防空壕を利用して、戦争遺跡「鶉野フィールドミュージアム」…
兵庫県加西市鶉野町にある第二次世界大戦の最中に海軍が開設した鶉野飛行場(うずらのひこうじょう)・滑走路跡の北端部に建つ、戦争遺跡「鶉野フィールドミュージアム」の拠点となる施設が、soraかさい。戦闘機「紫電改」と、「九七…
兵庫県加西市鶉野町にあるのが、鶉野飛行場跡(うずらのひこうじょうあと)。第⼆次世界⼤戦の戦局悪化に際して、パイロットを養成するために海軍が姫路海軍航空隊を開場、九七式艦上攻撃機を使用した実用訓練が行なわれていました。滑走…
東京都港区芝公園2丁目、増上寺三解脱門の門前、日比谷通り沿いの芝公園10号地にあるのが、万延元年遣米使節記念碑(まんえんがんねんけんべいしせつきねんひ)。昭和35年の日米修好通商条約100周年に際し、すぐ近くに立つペルリ…
東京都港区芝公園2丁目、増上寺の門前、日比谷通り沿いの芝公園10号地にあるのが、ペルリ提督の像。昭和28年、『開国百年祭』に際し、ペリー提督の出身地であるアメリカ合衆国・ロードアイランド州ニューポート市に石灯籠を贈り、そ…
東京都港区麻布十番2丁目、大黒坂上り口の園地(パティオ十番)に置かれているのが、赤い靴の女の子・きみちゃん像。野口雨情作詞の童謡『赤い靴』に登場する赤い靴の女の子・岩崎きみは、実はアメリカには渡ることなく、麻布永坂町50…
鹿児島県出水市にある島津家始祖・島津忠久(しまづただひさ)ゆかりの古社が、箱崎八幡神社。平成10年に直径3.4m、高さ4m、重さ5000kgという「日本一の大鈴」と大鈴を吊るす神門が完成、平成15年には神社に伝わる三十六…
広島県福山市新市町にある古墳が、大佐山白塚古墳(おおさやましらつかこふん)。大佐山古墳群の1号墳(盟主墳)で、標高187.8mの大佐山頂上からわずかに南に下った高台に築かれています。円墳(または方墳)で、南向きに開口する…
世界的にツルの越冬地として有名な鹿児島県出水市にある、ツルの情報を発信する日本で唯一の博物館が、出水市ツル博物館クレインパークいずみ。建物は卵を抱いた親ヅルに子ヅルが寄り添った姿をイメージ。ツルを代表とする出水の自然に関…
鹿児島県出水市平和町、出水ゴルフクラブ南側に現存する3基の遺構が、出水海軍航空基地掩体壕(いずみかいぐんこうくうたいきちえんたいごう)。掩体壕とは、戦闘機などを爆撃から守るために築かれたコンクリート製のシェルターのこと。…
鹿児島県出水市平和町、出水海軍航空隊跡に築かれた公園が、特攻碑公園(とっこうひこうえん)。「雲こそわが墓標 落暉よ碑銘を飾れ」と刻まれた石碑が戦闘指揮所地下壕の上に立ち、哨舎跡などが現存。往時の地下壕は、見学可能な鹿児島…
香川県高松市由良山町、平野部にポツンとそびえる由良山(標高120.3m)の西登山口近くにあるのが、由良山防空壕跡(ゆらやまぼうくうごうあと)。清水神社駐車場から由良山西登山口へ向かう途中に3ヶ所の防空壕(戦闘機、人などを…
兵庫県西宮市、生瀬から有馬へ向かう有馬街道沿いにある奇勝が、蓬萊峡(ほうらいきょう)。蓬萊とは、神仙思想で東の海にある仙人が住むといわれた仙境のこと。大剣、小剣、屏風岩などと名付けられた花崗岩の奇岩が林立する迫力ある景観…
徳島県徳島市一宮町にある中世の山城が、一宮城(いちのみやじょう)。南北朝時代に天然の要害を利用して築かれた城で、蜂須賀家政が阿波国入国後は徳島城の支城(阿波九城)として機能しましたが、元和の一国一城令で廃城になっています…