愛宕神社
1603(慶長8)年、徳川家康が、火難を防ぐ菩薩として中世の武将があつく信仰した、京・愛宕山(あたごやま)の勝軍地蔵(将軍地蔵)を勧請し創建した神社。海抜26mという小さな山の山頂にあるが、これは自然地形としては23区内…
1603(慶長8)年、徳川家康が、火難を防ぐ菩薩として中世の武将があつく信仰した、京・愛宕山(あたごやま)の勝軍地蔵(将軍地蔵)を勧請し創建した神社。海抜26mという小さな山の山頂にあるが、これは自然地形としては23区内…
徳川将軍家の菩提寺として有名。寺としての歴史は古く、その創建は1393(明徳4)年まで遡ります。徳川家康の菩提寺として芝に移されてからは、東国随一の浄土宗寺院として繁栄を続けてきましたた。東京大空襲の戦火でほとんどの建物…
藩邸内に祀られた水天宮を毎月5日限定で江戸の庶民に開放して「情け有馬の水天宮」といわれた、久留米藩有馬家屋敷(久留米藩江戸上屋敷)。実は、もうひとつ、当時の江戸では超高層建築の火の見櫓があって、「湯も水も火の見も有馬の名…
「恐れ入谷の鬼子母神」、「草加、越谷、千住の先よ」など、江戸の地名を盛り込んだ地名入りの地口(じぐち=言葉遊び)。今回紹介するのは、久留米藩有馬家の上屋敷が盛り込まれた「情け有馬の水天宮」(なさけありまのすいてんぐう)。…
出世の石段で知られる愛宕神社。1603(慶長8)年、江戸幕府開いた徳川家康の命により防火(ひぶせ)の神様として祀られました。主祭神は火産霊命(ほむすびのみこと)。23区内で自然の地形としては一番高い山である標高25.7m…
奥浜名、湖北五山に数えられるのが黄檗宗(おうばくしゅう)の寺、初山宝林寺。黄檗宗開祖・隠元禅師ととも来朝した明国の僧・独湛性瑩(どくたんしょうけい)が、旗本・金指近藤家2代・近藤貞用(こんどうさだもち)の尊崇をえて、16…
長谷寺(ちょうこくじ)は、曹洞宗大本山永平寺の別院で、室町時代の創建。江戸時代には江戸観音霊場第22番札所として尊崇を集めました。本尊の十一面観音は、「麻布大観音」と呼ばれ親しまれています。 墓地には坂本九やエノケンの墓…
太田道灌が江戸城の鬼門(きもん=万事に忌むべき方角)である丑寅(うしとら/艮=北東)の方向を守るために開山した日蓮宗の寺、平河山本住院法恩寺。寺伝によれば豊臣秀吉、徳川家康も参詣したことがあるという名刹です。山号を平河山…
1192(建久3)年、源頼朝の命で梶原景時が荏原郡大井郷道塚(現在の品川区大井鹿島/当時は海岸でした)に建立した寺、慈眼山萬福寺(じげんざんまんぷくじ)。都内で初めての摩尼輪塔があります。
徳川家康が江戸入府の際、最初に参詣した寺といわれるのが増上寺。江戸時代には徳川家の祈願寺、菩提寺として繁栄しました。往時には武蔵国貝塚(今の千代田区麹町・紀尾井町あたり)にありましたが、江戸城の拡張で家康により芝に遷され…
静岡市葵区音羽町にある「きよみずさん」の呼び名で知られる清水寺(きよみずでら)。千手観音菩薩を本尊とする真言宗の寺です。7月9日の観音大祭(四万八千日)で有名ですが、除夜の鐘を撞くこともできます。中国寺院風の鉄筋本堂(和…
807(大同2)年、空海が創建したと伝えられる伊豆屈指の古刹で戦国時代に曹洞宗に改宗。修善寺温泉の地名の由来になった寺ですが、源頼朝の弟、範頼と2代目将軍頼家が幽閉、暗殺されたことでも有名。
秋葉総本殿可睡斎(あきばそうほんでんかすいさい)は、袋井市郊外にあり、室町初期に開かれた曹洞宗の巨刹。その昔、徳川家康に招かれた11代住職の等膳和尚が、家康の目の前でいねむりを始め、家康が「和尚睡(ねむ)る可(べ)し」と…
願成就院(がんじょうじゅいん)は、1189(文治5)年、源頼朝の奥州攻めの成功を祈って、北条時政が建立した寺で、北条氏の氏寺。運慶が30代の時に造った阿弥陀如来・毘沙門天・不動三尊と、その胎内銘札は、国の重要文化財。願い…
徳川家康の死因は、定かでありません。 一般に流布しているのは「鯛の天ぷらを食べて死んだ」というもの。 鯛の天ぷらにあたったのでしょうか? その鯛の天ぷらを食したといわれるのが、田中城(現・藤枝市)です。
「一富士二鷹三茄子」は、故事ことわざ辞典などによれば、「初夢に見ると縁起が良いとされるものを、めでたい順に並べた句」とされています。富士は不死あるいは無事、鷹は高い、茄子は成すに通じるとか様々な解釈がありますが、その真相…
2017年(平成28年)のNHK大河ドラマは『おんな城主 直虎』(森下佳子原作)。 その舞台でもあり、主人公の柴咲コウ演じる井伊直虎(いいなおとら)の菩提寺でもあるのが浜松市北区引佐町にある龍潭寺(りょうたんじ)です。
中国三十三観音霊場第三十三番札所(中国観音霊場の結願寺)となる天台宗の寺。1650(慶安3)年、鳥取藩祖・池田光仲の創建で、創建当初は淳光院と号していたが、1814(文化11)年に大雲院と改称。鳥取東照宮の別当寺で、往時…