横須賀城
静岡県掛川市、御前崎から西に続く海岸線の奥、かつての海岸段丘の上に築かれた城が、横須賀城。高天神城(たかてんじんじょう)が高天神城の戦いで、武田勝頼に奪われた後、徳川家康が城攻めの拠点として築いたのが、横須賀城で、城跡は…
静岡県掛川市、御前崎から西に続く海岸線の奥、かつての海岸段丘の上に築かれた城が、横須賀城。高天神城(たかてんじんじょう)が高天神城の戦いで、武田勝頼に奪われた後、徳川家康が城攻めの拠点として築いたのが、横須賀城で、城跡は…
静岡県掛川市の高天神城を主戦場に、遠州進出し、上洛を狙う武田信玄、武田勝頼と徳川家康(その背後に織田信長)との間での二度に渡る激戦が、高天神城の戦い。高天神城を攻略するために、武田勝頼は諏訪原城、徳川家康が横須賀城を築く…
岐阜県可児市(かにし)、標高277mの古城山の山頂に築かれた中世の山城跡が、美濃金山城(みのかねやまじょう)。続日本100名城に選定されるほか、美濃金山城跡として国の史跡に指定。天文6年(1537年)、尾張侵攻を目論む斎…
地元で三英傑(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)の出身県でもある愛知県。日本100名城選定の名古屋城、岡崎城、長篠城、犬山城(国宝天守)と、続日本100名城選定の小牧山城、吉田城、そしてちょっぴり無名の古宮城が愛知県七大名城…
東京都八王子市椚田町、京王線めじろ台駅の南、縄文時代中期の典型的な集落遺跡の椚田遺跡(くぬぎたいせき)を公園として整備したものが、椚田遺跡公園。遺跡の6分の1のエリアで、繩文時代中期中葉の竪穴住居跡45基が発見され、全体…
東京都あきる野市雨間にある古墳が、大塚古墳。JR五日市線の東秋留駅〜秋川駅の車窓(北側)からも視認できるこんもり茂る森が大塚古墳で、畑が減り市街化が進むなかで、貴重な緑となっています。円墳のような形状ですが、一辺33m、…
東京都府中市分梅町1丁目の住宅地の中にある古墳が、高倉塚古墳。6世紀前半(古墳時代後期)に築かれた直径22m、高さ2.5mほどの円墳ですが、古墳自体は公園化されて残存していますが、住宅が迫り、その一部が削られています。す…
熊本県の古墳時代は有明海に面した平野部だけでなく、阿蘇谷にも巨大な古墳が築かれています。これは阿蘇谷に豊富な資源があり、古代の工場があったから。氷川町の大野窟古墳、阿蘇市の長目塚古墳、山鹿市の岩原双子塚古墳が現存する熊本…
熊本県阿蘇市一の宮町、肥後国一之宮・阿蘇神社の北、阿蘇北外輪山の麓に築かれている阿蘇の古代を今に伝える古墳が、長目塚古墳(ながめづかこふん)。墳丘長111.5m(一部が削平、推定復元116.5m)で、熊本県では大野窟古墳…
大分県の古墳時代は、豊後海峡を支配し、瀬戸内海へと乗り出した海の民が繁栄した時代。海運技術に秀でた民を支配する首長をヤマト王権が見逃すはずもなく、王権と密なる関係を築いた首長墓が、杵築市の小熊山古墳、大分市の亀塚古墳、築…
日本最古の水田の跡のある菜畑遺跡、そして吉野ヶ里遺跡など、古代には大陸との交流の窓口でもあった佐賀県。有明海に臨む佐賀市(佐賀平野)の船塚古墳、銚子塚古墳が1位と3位、間に入ったのが、唐津市の唐津湾に流れ出る松浦川河口部…
大分県大分市、佐賀関半島の付け根に位置する古墳が、築山古墳(つきやまこふん)。墳丘長90mという前方後円墳で、大分県内第3位となる巨大古墳です(国の史跡)。豊後水道を支配した海部民(あまべのたみ)が暮らした土地で、卓越し…
福岡県みやま市にある女山城(ぞやまじょう)とも呼ばれる古代山城が、女山神籠石(ぞやまこうごいし)。古塚山を利用して築城された城で、山頂を馬蹄状に列石が巡っています。城域内に山内古墳群(やまうちこふんぐん)もあり、ともに国…
日本国内の古墳で、円墳に次いで数が多いのが四角形の方墳です。天皇や有力な豪族の墓も築かれていますが、それを凌ぐ規模の方墳もあり、千葉県印旛郡栄町の岩屋古墳(龍角寺古墳群)、奈良県橿原市の桝山古墳、大阪府南河内郡太子町の葉…
佐賀県佐賀市金立町にある国の史跡に指定される古墳が、銚子塚古墳。墳丘長は98mと惜しくも100mに届きませんが、佐賀平野では船塚古墳(114m)に次ぐ巨大古墳で、佐賀県内でも久里双水古墳(唐津市108.5m)に続く第3位…
大分県杵築市狩宿、国東半島南端の海岸線から少し入った大熊山に続く尾根に築かれた大分県最大となる巨大な古墳が、小熊山古墳。墳長116.5mの前方後円墳で、古墳時代前期前半(3世紀後半〜4世紀初頭)の築造。九州では最古級の円…
福岡県朝倉郡筑前町四三嶋(しそじま)にある国の史跡に指定される古墳が、焼ノ峠古墳。城山から北にのびる尾根上、標高56mに、3世紀後半(古墳時代前期)に築かれた墳丘長38.8mの前方後方墳。九州には珍しい前方後方墳のひとつ…
広島県福山市新市町にある尾市古墳群を構成する古墳が、尾市1号墳(おいちいちごうふん)。直径10.5mほどの小さな古墳ですが、注目はその墳形。7世紀(古墳時代終末期)のヤマト王権では天皇陵に使われる八角墳で、7世紀後半頃の…