柏原藩陣屋跡

柏原藩陣屋跡

兵庫県丹波市柏原町にある江戸時代の柏原藩藩庁の遺構が、柏原藩陣屋跡。柏原藩2万石の居館及び政庁で、正徳4年(1714年)、織田信休(おだのぶひさ)が創建、文政元年(1818年)に焼失後、再建されています。現存する建物は旧表御殿(往時の5分の1)だけで、それ以外は明治時代に破却されています。

柏原藩陣屋の表御殿、長屋門が現存

柏原藩陣屋跡
創建当初の長屋門も現存

元禄8年(1695年)、大和国宇陀松山藩(現・(奈良県宇陀市大宇陀)から織田信休が移封され、柏原藩の初代藩主となり、元禄11年(1698年)に初めて国入りが許され、正徳4年(1714年)にようやく陣屋が完成しています。
柏原藩は、慶長3年(1598年)、織田信長の弟・織田信包(おだのぶかね)が封ぜられた後、その家系が3代・織田信勝(おだのぶかつ)で絶え、天領(幕府領)となっていましたが、織田信休が旧領に戻って、明治維新まで織田家の治世が続いています(織田信包からの3代を「前の織田」、織田信休からの10代を「後の織田」とも呼んで区別)。

現存する柏原藩陣屋は、正徳4年(1714年)創建時の長屋門と、文政3年(1820年)再建の表御殿の一部だけですが、全国的にも数少ない陣屋遺構のひとつで、明治時代以降には小学校としても活用されていました。
表御殿は、藩士や来客が藩主と対面するなど公的な儀式の場として使用されていた場所で、使者次の間、使者の間などが現存しています。
中御殿(藩主が政務や日常生活を行なった場所)、奥御殿(女中や国許の側室が生活した場所)、御用所(藩士が政務を行なっていた場所)、台所(藩主たちの食事を作っていた場所)は現存していません。

入館券は、丹波市立柏原歴史民俗資料館・田ステ女記念館と共通。

柏原藩陣屋跡
表御殿の遺構
柏原藩陣屋跡
名称 柏原藩陣屋跡/かしわはらはんじんやあと
所在地 兵庫県丹波市柏原町柏原683
関連HP 丹波市公式ホームページ
電車・バスで JR柏原駅から徒歩10分
ドライブで 舞鶴若狭自動車道春日ICから約9km、丹南篠山口ICから約15km
駐車場 観光案内所駐車場(15台/無料)
問い合わせ 柏原市社会教育・文化財課 TEL:0795-70-0819/FAX:0795-70-0814
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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