醒井宿資料館・旧醒井郵便局
滋賀県米原市醒井、中山道江戸から数えて61番目の宿場町として栄えた醒井宿(醒ヶ井宿/さめがいじゅく)。JR東海道本線醒ヶ井駅から醒井宿の中山道に向かう大正通りに建つ、旧醒井郵便局を再生したのが醒井宿資料館。大正4年築のレ…
滋賀県米原市醒井、中山道江戸から数えて61番目の宿場町として栄えた醒井宿(醒ヶ井宿/さめがいじゅく)。JR東海道本線醒ヶ井駅から醒井宿の中山道に向かう大正通りに建つ、旧醒井郵便局を再生したのが醒井宿資料館。大正4年築のレ…
滋賀県米原市醒井、中山道江戸から数えて61番目の宿場町として栄えた醒井宿(醒ヶ井宿/さめがいじゅく)。宿場の中央、本陣跡の近くに現存するのが醒井宿問屋場(旧川口家住宅)の建物で、旧醒ヶ井郵便局とともに醒井宿資料館として公…
滋賀県米原市醒井、中山道江戸から数えて61番目の宿場町として栄えた醒井宿(醒ヶ井宿/さめがいじゅく)。古くから清冽な湧き水でも有名な所で、「居醒の清水」(いざめのしみず)を源流とする地蔵川が街道に沿って流れ、7~8月頃に…
滋賀県長浜市木之本町、北国街道(ほっこくかいどう)の木之本宿にある昔ながらの醤油醸造所が白木屋醤油店。北国街道に面して建つ建物は、江戸時代後期の天保年間(1830年〜1844年)築の旅籠(はたご)建築で、白木屋醤油店主屋…
滋賀県長浜市湖北町、奥琵琶湖に突き出す葛籠尾崎(つづらおざき)の先端から10m〜700m、水深10m~70mの湖底にある葛籠尾崎湖底遺跡を紹介するミュージアムが葛籠尾崎湖底遺跡資料館。地元の尾上自治会の運営。館内では奥琵…
滋賀県長浜市木之本町にある北国街道(ほっこくかいどう)の宿場町が木之本宿(きのもとじゅく)。鳥居本宿(現・滋賀県彦根市鳥居本町)で中山道と分かれ、金沢城下を結んだ北国街道。その宿場として栄えたのが木之本宿で、今庄宿(現・…
滋賀県近江八幡市、水郷風景が広がる近江八幡の町並みから見上げるようにそびえているのが標高271.8mの鶴翼山(八幡山)。豊臣秀吉の甥で、豊臣秀次が天正13年(1585年)に築いた八幡山城(近江八幡城)の城跡で、山麓から山…
滋賀県湖南市の雨山文化運動公園、東海道・石部宿(いしべしゅく)を復元した「石部宿場の里」にあるミュージアムが東海道石部宿歴史民俗資料館。東海道、江戸から数えて51番目の宿場が石部宿で、宿場の南に位置する資料館では、石部宿…
滋賀県蒲生郡竜王町にある神社で近郷33ヶ村の総社が苗村神社(なむらじんじゃ)。昔ながらの鎮守の森が残され、森の中は文化財の宝庫。茅葺きの楼門、神輿庫、東本殿、境内社の十禅師社本殿、八幡社本殿は国の重要文化財。さらに鎌倉時…
滋賀県長浜市湖北町伊部にある、街道時代の本陣跡が北国脇往還伊部本陣跡。中山道関ヶ原宿と北国街道木之本宿を結ぶ街道が北国脇往還。伊部宿は脇往還のほぼ中間に位置し、本陣、問屋が各1軒、旅籠11軒、伝馬13疋が常備される大きな…
滋賀県長浜市西浅井町、越前国(敦賀)と近江国(塩津)を結ぶ最短ルートとして古から使われた塩津街道・深坂峠越えの道が深坂古道。現在は国道8号となった塩津街道の旧道で、深坂峠の手前にある深坂地蔵堂は、当時貴重品だった北陸の塩…
琵琶湖の最北岸、滋賀県長浜市西浅井町にある歴史的景観が塩津街道塩津浜の家並み。古代から琵琶湖舟運の拠点として繁栄した塩津浜。琵琶湖北岸に位置する塩津湊は、大津・京と北陸を結ぶ重要な交易ルートとなっていました。塩津浜は、塩…
滋賀県近江八幡市、近江八幡市八幡伝統的建造物群保存地区に選定される新町通りに建つ西川家は近江八幡屈指の豪商。重要文化財に指定される商家は3代目の西川利右衛門が宝永3年(1706年)に建てたもので、近江八幡市立資料館・旧西…
滋賀県甲賀市水口町、水ロ藩2万5000石の居城だった水口城(みなくちじょう)の本丸跡に建つのが水口城資料館。かつての本丸・乾矢倉(いぬいやぐら)を復元した水口城資料館では、将軍上洛の際に宿館となった水口城の模型や、水口藩…
滋賀県長浜市余呉町川並、湖北にそびえる標高421.1mの賤ヶ岳(しずがたけ)山頂一帯が賤ヶ岳古戦場。信長没後の天正11年(1583年)、羽柴秀吉と柴田勝家との賤ヶ岳の戦いで、秀吉方で活躍した7人の武将は「賤ヶ岳の七本槍」…
湖北の「観音の里」と呼ばれる滋賀県長浜市高月町にある真宗大谷派の寺、渡岸寺観音堂(向源寺)。寺伝によれば天平8年(736年)、平城京に疱瘡(ほうそう)が大流行し、その病魔退散の願いから聖武天皇の勅願で、白山を開いた泰澄が…
滋賀県野洲市、野洲市立弥生の森歴史公園にあるユニークな博物館が日本古代史の謎とされる銅鐸のルーツを探り、その真相解明に迫る銅鐸博物館(野洲市立歴史民俗資料館)。銅鐸をシンボルとする野洲市のテーマ館的な存在で、館内では、銅…
滋賀県近江八幡市にある学校建築の遺構が白雲館。明治10年、近江商人が子弟の教育のために八幡東学校として建てられた擬洋風建築で、その後、八幡町役場、蒲生郡役所、八幡町信用組合、電報電話局などとして使われてきたものを平成6年…