大阪城公園・六番櫓
大阪府大阪市中央区の大阪城跡、国の特別史跡となっている大阪城公園で、ニの丸南面の南外堀に面しては一番櫓から七番櫓まで、2層2階の同規模の櫓が7棟並んでいましたが、現在では六番櫓、一番櫓のみ残され、ともに国の重要文化財に指…
大阪府大阪市中央区の大阪城跡、国の特別史跡となっている大阪城公園で、ニの丸南面の南外堀に面しては一番櫓から七番櫓まで、2層2階の同規模の櫓が7棟並んでいましたが、現在では六番櫓、一番櫓のみ残され、ともに国の重要文化財に指…
大阪府大阪市中央区大阪城、国の特別史跡となっている大阪城公園で、大手枡形を形成するのが大手口多聞櫓。北側の千貫櫓(国の重要文化財)とともに大手門を守備する重要な櫓門で、現存する建物は嘉永元年(1848年)築で、国の重要文…
大阪府大阪市中央区大阪城、国の特別史跡となっている大阪城公園で、大手門を守備する隅櫓(すみやぐら)が、千貫櫓。大手門を北側から防御する役割を担った2層の櫓で、元和6年(1620年)創建、国の重要文化財に指定されています。…
大阪府大阪市中央区大阪城、国の特別史跡となっている大阪城公園で、乾(いぬい=西北隅)の方向に建つのが乾櫓。櫓の西側と北側が西外堀に面する櫓で、大阪城公園内に現存する建築物としては、同じ西外堀に臨んで建つ千貫櫓とともに最古…
大阪府大阪市中央区、大阪城公園となった大阪城内で、城郭の南西に位置する大手門を入った桝形虎口に連なる巨石のひとつが、大手見付石。高さ5.1m、幅11.0m、表面の面積47.98平米、推定重量108tという大阪城公園第4位…
大阪府大阪市中央区、大阪城公園となった大阪城内で京橋口から二の丸に入ったところにある京橋門枡形虎口に配される巨石が、肥後石。大阪城公園で、本丸正門・桜門の蛸石に続いて第2位となる大きさで、肥後という名が付いてはいますが、…
大阪府大阪市中央区、大阪城公園となった大阪城内で本丸の正面玄関にあたるのが、桜門。天下普請により枡形虎口の普請が完成した寛永元年(1624年)頃の創建と推測され、現存する門は、明治20年に第四師団司令部を城内に置いた陸軍…
大阪府大阪市中央区、大阪城公園となった大阪城内でもっとも巨大な石が、桜門枡形巨石の蛸石。大阪城本丸の南端、内堀(空堀)を渡った桜門(国の重要文化財)の枡形にある巨石で、縦5.5m、横11.7m、厚さ75cm、面積は36畳…
静岡県静岡市葵区、今川氏の菩提寺である臨済寺や静岡浅間神社の背後に位置する賤機山(標高171m)の山上に築かれた中世の山城が、賤機山城(しずはたやまじょう)。駿河の守護・今川範政(いまがわのりまさ)が駿府に入った応永18…
東京都大田区南馬込にある中世の城郭跡が、馬込城(まごめじょう)。現在の南馬込一帯は、戦国時代の後北条氏の家臣・梶原助五郎(かじわらすけごろう)の所領で、その城館が、馬込城。舌状台地の先端に位置し、急な崖に囲まれ、周囲には…
長崎県対馬市厳原町、近世の城・金石城(最初に対馬藩藩庁が置かれた城)の背後にそびえる清水山(210m)の山上に、豊臣秀吉の命で文禄・慶長の役の兵站基地として築かれた城が、清水山城(しみずやまじょう)。壱岐島の勝本城ととも…
沖縄県八重山郡竹富町、波照間島(はてるまじま)の玄関港・波照間港(波照間漁港)の東にある城(ぐすく)が、下田原城(しもたばるじょう)。第二次世界大戦の戦禍を受けていないため、1429年に琉球王国統一の歴史を示す貴重な遺跡…
沖縄県うるま市安慶名、1453年、安慶名大川按司(あげなおおかわあじ)の改築城と伝承される城(グスク)で国の史跡となるのが、安慶名城(あげなぐすく)。城の北側を流れる天願川が別名大川と呼ばれることから、大川城(おおかわぐ…
栃木県大田原市にある戦国時代に築城された、那須氏重臣・大関氏の居城が、黒羽城。土塁、空濠、水濠などが現存し、黒羽城址公園として整備されています。本丸跡からは那須連山、日光連山を眺望。アジサイ6000株が植栽され、6月下旬…
東京都世田谷区豪徳寺2丁目にある世田谷区で唯一の歴史公園が、世田谷城址公園。中世、世田谷吉良氏の居城・世田谷城の城跡で、吉良御所、世田谷御所と呼ばれていました。小田原の後北条氏と親戚関係を結んだ吉良氏の城跡には、土塁や丘…
兵庫県赤穂市にある赤穂藩(加里屋藩)の藩庁が置かれた赤穂城。日本100名城に選定されているものの、建築物は現存していません。現存する本丸庭園と、二の丸庭園は、旧赤穂城庭園として国の名勝になっています。天守台石垣横に池泉の…
兵庫県赤穂市にある赤穂藩(加里屋藩)の藩庁が置かれた赤穂城。日本100名城に選定されているものの、建築物は現存していません。現存する二の丸庭園と、本丸庭園は、旧赤穂城庭園として国の名勝になっています。公開にあたって細長い…
東京都板橋区赤塚5丁目、都立赤塚公園の一部となっている中世の平山城が、赤塚城(あかつかじょう)。康正2年(1456年)、下総千葉氏の内紛(市川合戦)に敗れた千葉自胤(ちばよりたね)が、市川城(現・千葉県市川市)から居城を…