信長ファンで猫好き必読! 織田信長は愛猫家の天敵だった

織田信長

戦国武将の人気投票をするとダントツでトップとなるのが織田信長。ところが、戦国時代に信長が震え上がらせたのは比叡山の僧侶や、一向一揆に立ち上がった農民、土豪だけではありません。猫好きも恐れおののく事件が多発。戦国時代の猫好き、そして猫にとって信長は、まさに天敵だったのです。

鷹狩り用に飼育する鷹の餌に、畿内の猫を調達!

オオタカ
鷹狩に使われたオオタカ

テレビ朝日系列で放送された『国民10万人がガチ投票!戦国武将総選挙』(2019年12月28日放送)で、国民10万人に、「あなたが一番好きな戦国武将は誰」とアンケートした回答で、全国41県で投票数1位に輝くというダントツの強さで制覇したのが織田信長。
出身の愛知県は、豊臣秀吉、徳川家康のいわゆる三英傑が揃っていますが、1位。
お隣の静岡県は浜松城の関係で徳川家康かと思いきや、やはり織田信長。

そんな織田信長ですが、猫に対してはかなり残忍な対応をしているのです。
戦国武将は合戦に勝利すると、奪い取った領地から、木材、宝物などを剥奪します。
領民たちは、なんとかこれを守ろうと、穴をほって隠したり、戦国大名の力の及ばない寺社や遠い親戚に預けたりしたのです。

戦国時代に興福寺塔頭(こうふくじたっちゅう/塔頭=子院)の英俊(えいしゅん)らが事件や畿内要人の動向・噂などを記録した『多聞院日記』の天正5年5月7日には、「ナラ中ネコ・ニワ鳥、安土ヨリ取ニ来トテ、僧坊中ヘ、方々隠了(かくしおわんぬ)、タカノエノ用」と記されています。
実は、この英俊は愛猫が死んだ際に妙雲禅尼という戒名まで付けているほど猫好き(記録に残る日本最初の猫の戒名とも)。

その英俊があわてふためき、寺の中に猫を隠したと記したのは、安土城を築いた天下人・織田信長が、鷹狩り用に飼育する鷹(オオタカ、イヌワシ、ハヤブサ)の餌として、奈良を始め、近畿各地の猫の調達を行なったから。
小田原城を居城にする相模国の北条氏政(ほうじょううじまさ)は、信長のご機嫌取りのためか、13羽も鷹を贈っています(『信長公記』巻十三)。
諸大名から鷹が贈られるほどの鷹狩好きの信長ですが(尾張を制覇し統一した信長は、家康との信頼関係を強化するため、家康の領有する三河・西尾まで鷹狩に出かけていました)、安土城には20羽以上の鷹が飼育されていたと推測され、困ったのがその餌だったというわけです。

信長は、「畿内から鷹の餌になる鶏、猫などを調達しろ」と命じたようで、さらに『多聞院日記』には猫だけでなく、奈良中の狛(こまいぬ=高麗犬に代表される犬)も集めていたと記されていますが、その目的が、犬や猫の皮を使って槍の穂先につける鞘(さや)を作るからという理由で。
合理的といえば、合理的ですが、愛猫家だけでなく、愛犬家をも震え上がらせていたのです。

奈良に住む人は、織田信長すらその権力が及ばなかった「守護不入」の特権を有した興福寺などの大寺院に、密かに猫や犬を疎開させ、鷹の餌とされることを避けたのです。

鷹狩のためなら、庶民の猫や鶏なんかはお構いなしに調達。
まさに愛猫家の敵、信長。
それでもまだ、信長が好きですか?

奈良の猫は末代まで信長を許さにゃーぞ!
信長ファンで猫好き必読! 織田信長は愛猫家の天敵だった
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