江戸時代、徳川幕府は、「入鉄砲と出女」などを取り締まるため、諸街道に50ヶ所ほどの関所を設置していました。そのなかでも重要な東海道・箱根関所と浜名湖の新居関所、中山道の碓氷関所と木曽路の福島関所(木曽福島関所)が四大関所と称されています。
箱根関所(東海道)|神奈川県
所在地:神奈川県足柄下郡箱根町箱根
歴史:元和5年(1619年)設置、明治2年廃止
江戸時代の東海道は、箱根の関より西が「関西」で、小田原藩が管理し、大番所内の面番所で旅人の手形を調査
関東に出入りする旅人をチェック
現状:平成19年3月に古文書をもとに京口御門、江戸口御門、足軽番所、大番所、厩(うまや)などを往時のままに正確に復原
旅人たちが関所改めを待つ待機場だった千人溜(江戸口と京口の両側にあります)や雪隠(せっちん=トイレ)、馬をつなぎ止める外繋など細部に渡るまで再現され、街道時代の関所がどんなものだったのかよく分かる仕組み
ミュージアム:復元された箱根関所から、芦ノ湖の湖畔に建つ「御番所茶屋」の前を通り、湖畔側に歩けば、箱根関所資料館があります
新居関所(東海道)|静岡県
所在地:静岡県浜名郡新居町新居1227-5
歴史:慶長5年(1600年)設置、明治2年廃止
浜名湖の湖口・今切口(今切の渡し)に近い場所にありましたが、元禄12年(1699年)、暴風雨のために移転、さらに宝永4年(1707年)の地震津波によって翌宝永5年(1708年)に現在地に移転
元禄15年(1702年)まで幕府が管理し、以降は三河・吉田藩(藩庁は吉田城=なぜか現在の豊橋市)が管理
現状:全国で唯一関所建物「面番所」が現存し、国の特別史跡に指定
現存する建物は、安政東海地震翌年の安政2年(1855年)に再建されたもの
ミュージアム:新居関所史料館が隣接して建ち、江戸を守るために新居関所を設置した経緯なども詳しく解説
碓氷関所(中山道)|群馬県
所在地:
歴史:元和2年(1616年)、明治2年廃止
中山道の関東の入口、碓氷峠を下った横川に関所を設置
関所から西の碓氷峠側を幕府が、東を安中藩が守備
現状:当時から残された門の柱と扉、屋根材の一部と台石を使用して昭和34年に関所の東門を復元(門の建つ場所は往時には番所がありました)
敷地内には旅人が石に手を付けながら通行手形を差し出した「おじき石」も現存
ミュージアム:少し離れた東側に碓氷関所史料展示室があります
福島関所|長野県
所在地:長野県木曽郡木曽町福島関町4748-1
歴史:設置年は慶長7年(1602年)〜慶長9年(1604年)頃、あるいは慶長19年(1614年)の大坂の陣頃という説も
木曽代官・山村家が明治維新まで関所番を兼務
現状:明治2年に関所は廃され、建物も破却、敷地も民間に払い下げられましたが、昭和50年の発掘調査を経て、福島関跡として国の史跡に指定され、史跡公園として整備
ミュージアム:公園脇に御番所を復元した福島関所資料館が建ち、当時の通行手形、首枷(くびかせ)、手枷(てかせ)、十手、絵図など、厳しい詮議の様子を伝える資料を展示
四大関所とは!? | |
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