鳥海山の山頂は、江戸時代に誕生の「新山」

鳥海山・新山

出羽富士(でわふじ)、秋田富士と呼ばれる東北の名峰、鳥海山(ちょうかいざん)。秋田県と山形県の県境に位置していますが、2236mの最高点は、山形県飽海郡遊佐町側の新山(しんざん)。なぜ新山という名が付いているのかといえば、寛政12年(1800年)~文化元年(1804年)の噴火で誕生した「新山」だから。

山頂アタックの基地、御室小屋は溶岩流の上に建つ

鳥海山・新山

鳥海山は有史以来、平安時代と江戸時代に現在の新山で水蒸気噴火を繰り返していて、貞観13年(871年)と享和元年(1801年)には溶岩が吹き出すマグマ噴火も記録しています。

江戸時代の噴火では、荒神ヶ岳付近で爆発、噴石、灰を噴出し、新山を形成。
当時、噴火場所の見物に訪れた草津村と赤剥村(あかはげむら)の登山者(参詣道者)8名が噴石で虫穴という場所で死亡しています。

新山の形成に関しては「十日ばかり過ぎて、少し煙が薄らいだ、山頂を見たところ、いつしか七高山と荒神ヶ岳の間に、巌々たる大山が湧き出ていた、その後、日を追って焼も薄くなった」(『文化大地震附鳥海山噴火由来』)と記されています。

享和元年(1801年)に生まれた山ということで、享和岳とも呼ばれていますが、地形図などには新山と記載され、今では新山の名で知られています。
正しく呼べば、江戸新山、あるいは享和新山ということに。

この新山(享和岳)は典型的な溶岩ドームで、成層火山である鳥海山の山頂部(山体崩壊によって生じた馬蹄形カルデラ)に、溶岩ドームがそびえ立つかたち。

鳥海山の山頂カルデラ内には、鳥海山大物忌神社・山頂本社が鎮座し、山小屋の御室小屋は、神社の鳥海山頂参籠所の扱いです(定員50名、完全予約制、2食付、ただし寝具、毛布の貸し出しなし)。
新山の山頂(鳥海山最高点)へは、この御室小屋(鳥海山頂参籠所)から登山道が伸びています。

ちなみに新山形成3年後の文化元年6月4日夜四ツ時(1804年7月10日22:00頃)には、象潟地震(きさかたじしん)が発生、大津波が象潟を襲い、土地が1m〜2mも隆起、象潟湖の大部分が陸地化しています(象潟地震と鳥海山の火山活動の関係は定かでありません)。


鳥海山・新山
新山溶岩流の上に建つ御室小屋(鳥海山頂参籠所)と新山
鳥海山の山頂は、江戸時代に誕生の「新山」
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

鳥海山

山形、秋田両県にまたがる標高2236m(新山山頂)のコニーデ火山(山頂一帯は山形県遊佐町)の鳥海山。山頂と、山麓の吹浦(ふくら)と蕨岡には鳥海山大物忌神社(ちょうかいさんおおものいみじんじゃ)が祀られ、出羽国一宮として崇められてきました。日

よく読まれている記事

こちらもどうぞ