峠を越えて上高地へ! 徳本峠歩道が再開!

徳本峠歩道

かつての上高地に入るためのメインルートだった徳本峠(とくごうとうげ)越えの道(徳本峠歩道/島々明神線歩道)は、2020年の地震と豪雨で被災して以降、通行止めとなっていましたが、2024年9月6日(金)、通行止めが解除され、再び、ウェストンも歩いた歴史ある歩道を歩くことができるようになりました。

クラシックルートと通称される徳本峠越えが開通!

2020年4月に上高地群発地震が発生、さらに7月の豪雨で徳本峠を越える道は大きく損壊し、徳本峠〜島々宿登山口(16km)が通行止めになっていました。
上高地側の明神〜徳本峠の4kmは問題なく歩くことができ、登山道として往復することもできました(ただしクマの出没などに注意が必要)。
徳本峠にある徳本峠小屋(歴史ある本館は国の登録有形文化財)も2024年は7月11日(木)〜10月14日(月)の間営業(宿泊、テント泊とも予約が必要)。

上高地がまだ「神河内」などと表記され、猟師たちが活躍した時代、この徳本峠越えの道は上高地に入るメインルートで、『日本アルプス登山と探検』(Mountaineering and Exploration in the Japanese Alps)の著者、ウォルター・ウェストン(Walter Weston)もこの道を通って上高地に降り立っています。

芝生が広がる徳沢園は、かつての上高地牧場の跡地で、明治18年5月に放牧を開始。
夏の間放牧された牛や馬たちは、この徳本峠を越える道を歩いたので、当時はかなり整備されていたのだと推測できます。
ウォルター・ウェストンも明治24年、徳本峠を越えて槍ヶ岳を目指していますが、このときは登頂することができませんでした。

釜トンネルが完成したのは昭和2年、上高地ホテル(現在の上高地帝国ホテル)が開業するのは昭和8年で、上高地の観光化が始まる昭和初期までは、この徳本峠越えがメインルートでした。

この道が再整備され、通行ができるようになったのは、実は焼岳の噴火警報レベルが3以上に引き上げられた際、徒歩による避難路となることが想定されているから。
焼岳の爆発で大正池が誕生したように、万一焼岳が大規模な火山活動を行なった際、現在の釜トンネルを抜けるルートでの避難は無理となります。

その場合は、明神から徳本峠を越え、島々谷へと下るこの徳本峠歩道(島々明神線歩道)が避難路として使われるのです。

かなりのロングコースで、災害により大きく地形が変わっており、落石や滑落のリスクが高くなっているため、長野県は「登山技術・装備・体力を勘案の上、自己責任で入山を」と呼びかけています。
長野県登山安全条例による指定登山道(明神登山口~島々宿登山口)であり、同条例で登山計画書の届出が義務付けられています。

峠を越えて上高地へ! 徳本峠歩道が再開!
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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