首都圏では、中央線快速に2階建で(ダブルデッカー)のグリーン車の営業が始まったことで、2階建て車両への注目度が高まっていますが、かつて日本国内で、路面電車でありながら異色の2階建てが走った街があります。「2階建て市電」が走ったのは大阪市電で、明治末の7年間ほどです。
日本で唯一「2階建て市電」が走ったのは明治末の大阪

「2階建て市電」は3両製造され、正式名は特殊電動車3号・5号・9号(大阪市電3号・5号・9号)で、明治37年〜明治44年というわずかな期間だけ、大阪の街を走りました。
誕生翌年に、早くも利用者が減少するという苦しいスタートだったため、話題作りに2階建て車両を導入したのです。
2階席は展望席で、ダブルデッカーというよりは、屋根上がテラスになったようなスタイルで、当時も一般的には「二階附電車」と呼ばれていました。
おもに築港線(九条新道電停〜大阪港電停/明治36年〜昭和43年)を走ったため、集電用のポールが釣り竿に見えることから「魚釣り電車」、2階はオープンデッキ状のため「納涼電車」、「観月電車」とも称されていました。
オリジナルの特殊電動車は現存していませんが、大阪市交通局緑木検車区内にある「大阪市電保存館」には、昭和28年に市電50周年で復元された車両(大阪市電5号)が保存されています(特別見学会実施時のみ見学が可能/TOPの画像)。
こちらは、主に「花電車」として使用され、乗客を運ぶことはありませんでした。
1階と2階を結ぶ狭い階段は螺旋階段で、揺れる転落しそうな雰囲気で、今ではとても設計できない危険な乗り物です。
黎明期の鉄道建設を推進し、「日本の鉄道の父」と称される鉄道官僚・井上勝が明治29年に設立した汽車製造が製造を請け負い、台車はドイツから輸入、モーターはアメリカ・ゼネラル・エレクトリック社製を積んでいました。
ほかで見られない珍しい車両だと大阪市電の名物となりましたが、「家の中を覗かれる」といった苦情も多かったことで、普及、量産するには至りませんでした。
使用されたうちの2両は大正2年に松山電気軌道に売却(三津浜海水浴場で「二階附電車納涼台」として使用)、さらに能勢電気軌道(現・能勢電鉄)へ譲渡されて有蓋貨物電車に改造されています。
2階建て路面電車は日本国内ではこの大阪市電が唯一の例ですが、海外ではイギリス、イギリスの旧植民地を中心に意外に普及していて、香港トラムは最も多くの2階建て路面電車車両(165両)が在籍する路線としてギネス世界記録に認定されています。

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