昭和50年3月10日の山陽新幹線博多駅延伸まで、東京駅〜西鹿児島駅を結び、九州島内は日豊本線(宮崎回り)に遠回りで走るという急行「高千穂」がありました。走行距離は実に1574.2km。まさに日本最長列車(夜行)ですが、なんとボックス席の座席(自由席)が主体という、今では少し信じられない内容でした。
まさに「キング・オブ・夜行急行列車」
長距離を走る夜行高速バスでは、東京〜博多を走る西鉄バス「はかた号」が「キング・オブ・夜行バス」という称号で呼ばれていますが、走行距離は1100km。
しかも座席はリクライニングですが、この急行「高千穂」の座席は、通常の客車もボックス席。
昭和43年10月1日までは寝台車、食堂車を併結していましたが、晩年は座席車のみとなっていたのです。
昭和43年10月1日からは鹿児島本線経由の急行「高千穂」(昭和45年10月1日からは「桜島」に名称変更)を併結。
西鹿児島発の場合は、まず急行「高千穂」が発車、遅れて急行「高千穂」(「桜島」)が発車。
それぞれ日豊本線、鹿児島本線を走り、門司港で併結、東京まではペアリングされて走行という列車でした。
驚くのはその編成。
晩年の食堂車がない時代はともに7両編成で、自由席6両、グリーン車1両。
門司港〜東京は14両編成で12両が自由席だったことに。
牽引機関車は、EF58(直流区間)、ED76(交流区間)など。
九州島内の非電化区間では当初はC57、のちにディーゼル機関車が牽引していました。
東京駅発は、なんと午前10:00
夜行といいながら急行「高千穂」・「桜島」東京駅発は10:00という午前中。
名古屋に15:14着・15:19発なので、東名ハイウェイバスの対抗としての利用者も多かったのです。
大阪は18:04発、仕事が終わって乗車するのも微妙な時間帯で、西鹿児島着は急行「桜島」が10:51、急行「高千穂」はかなり遅れて14:11。
なんと急行「高千穂」は所要28時間11分、急行「桜島」でも24時間51分というとんでもない長時間の座席車(旧型客車)の旅だったのです。
東京〜岡山は新幹線移動が可能だった時代、東京駅から西鹿児島まで、旧型客車を使った急行が走っていたのは、まさに昭和の国鉄といった感じです。
食堂車の連結はありませんでしたが、駅弁や駅そばなどの売店がホームで営業していたので、問題はありませんでした。
こんな長距離急行にどんな需要があったかといえば、やはり学生などが主体で、周遊券を利用しての旅などに活用されていました。
また東京〜名古屋〜京都〜大阪などの移動にも使われましたが、晩年は1車両に数人という状況で、役割を終えた感じでした。
| 東京〜西鹿児島1574.2kmを走破した日本最長夜行急行「高千穂」とは!? | |
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