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熊本県四大名城とは!?

熊本県四大名城

熊本県(肥後国)には藩政時代に熊本藩、人吉藩があり(天草は天領)、その藩庁の熊本城(熊本市)、人吉城(人吉市)が日本100名城に選定。熊本藩は特例で、支城として八代城が許され八代城(八代市)と、古代の朝鮮式山城である鞠智城(くくちのき)が続日本100名城、以上の4城が熊本県四大名城といえる城です。

熊本城|日本100名城

所在地:熊本県熊本市中央区本丸1-1
築城年:天正16年(1588年)から6年の歳月をかけ完成
築城者:加藤清正(かとうきよまさ)
主な城主:加藤清正、加藤忠広(かとうただひろ)、細川忠利(ほそかわただとし)、細川綱利(ほそかわつなとし)
史跡:国の特別史跡
文化財:宇土櫓、田子櫓など櫓11棟、門1棟、塀1棟が国の重要文化財
備考:東高西低の茶臼山の自然地形を最大限に生かし、山全体を要塞化した堅固な城
天守は西南戦争の2日前に焼失し、現在の建物は昭和35年に再建されたもの、本丸御殿も復元されています
熊本藩の藩庁
名古屋城、大坂城(大阪城)と並び「日本三名城」に数えられることも

熊本城

名古屋城、大坂城(大阪城)と並び「日本三名城」の一つ熊本城は、天正16年(1588年)に肥後半国の領主・加藤清正によって6年の歳月をかけて築かれた豪壮雄大な城。現在残る熊本城の城郭は、加藤清正が築いたものを細川時代に手直ししたもの。日本10

人吉城|日本100名城

所在地:熊本県人吉市麓町
築城年:建久4年(1193年)、近世城郭=寛永16年(1639年)
築城者:相良氏、近世城郭=21代・相良頼寛(さがらよりひろ=相良頼房の長男)
主な城主:相良頼寛
史跡:国の史跡
遺構:石垣、土塁など
備考:球磨川(くまがわ)と胸川(むねがわ)の合流点に築かれ、川を堀とした天然の要害
鎌倉時代の築城以来、明治維新に至るまで、35代670年にわたって相良氏が城主を務めるという稀有な城
人吉藩の藩庁
隅櫓、大手門脇多聞櫓などが復元され、「人吉城歴史館」がビジターセンターに

人吉城

人吉盆地(熊本県人吉市)にある人吉城は、鎌倉時代の建久4年(1193年)、相良氏が人吉の地頭に任じられた際に築城された山城。以来、明治維新に至るまで、35代670年にわたって相良氏が城主を務めるという稀有な城となっています。、球磨川(くまが

鞠智城(くくちのき|続日本100名城

所在地:熊本県山鹿市菊鹿町米原443-1
築城年:7世紀後半
築城者:大和朝廷
主な城主:不明
史跡:国の史跡
遺構:土塁、建物跡など
備考:天智2年8月(663年10月)、朝鮮半島の白村江の戦い(はくすきのえのたたかい/663年)で唐・新羅の連合軍に敗れた後に築かれた、半島からの攻撃を防御する軍事拠点
『続日本紀』に大野城(おおのき)、基肄城(きいじょう・きいのき)とともに築かれた三城(みつのき)と記された城
高さ15.8mの「八角形鼓楼」や米倉、兵舎、板倉が復元されているほか、ガイダンス施設として、歴史公園鞠智城・温故創生館が建てられています

鞠智城

鞠智城(くくちのき、きくちじょう)は、7世紀後半に大和朝廷が築いた古代山城の一つで、国の史跡。熊本県山鹿市と菊池市にまたがる台地上に、古代の世界情勢を反映して築かれた朝鮮式山城。『続日本紀』に大野城(おおのき)、基肄城(きいのき)とともに築

八代城|続日本100名城

所在地:熊本県八代市松江城町15-1
築城年:元和8年(1622年)
築城者:熊本藩主・加藤忠広(加藤清正の子)
主な城主:細川忠興(三斎)、細川光尚
史跡:国の史跡
遺構:水堀に囲まれた本丸部分の石垣のみ
備考:創建当初、本丸には4層5階の大天守と2層3階の小天守、7棟の櫓などが聳えていました
八代が島津藩及び諸外国への防備の拠点だったため、元和の一国一城令以降も熊本城の支城として存続が許され、肥後国は一国二城で、美しい城下町が生まれました

八代城

元和5年(1619年)の肥後八代地震(M6.0)で球磨川の河口にあった麦島城が崩壊したため、元和8年(1622年)に熊本藩主・加藤忠広(加藤清正の子)が松江村に築いた城が八代城(やつしろじょう=松江城)。現存するのは、水堀に囲まれた本丸部分

熊本県四大名城とは!?
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福岡県五大名城とは!?

福岡県では、福岡藩の藩庁だった福岡城と、ヤマト王権が築いた古代山城の大野城(おおののき)が日本100名城、小倉藩の藩庁だった小倉城、古代山城の水城(みずき)、久留米藩藩庁の久留米城が続日本100名城に選定。以上の5城が、福岡県五大名城といえ

佐賀県五大名城とは!?

豊臣秀吉の朝鮮出兵の拠点となった名護屋城(唐津市)、弥生時代の環濠集落・吉野ヶ里(吉野ヶ里町)、佐賀藩の藩庁・佐賀城(佐賀市)が日本100名城、古代の朝鮮式山城の基肄城(きいじょう/基山町)、唐津藩の藩庁・唐津城(唐津市)が続日本100名城

長崎県五大名城とは!?

長崎県にある名城は、松浦氏(平戸藩主)の居城・平戸城(平戸市)、島原藩の藩庁・島原城(島原市)が日本100名城、対馬に築かれた古代山城・金田城(かなたのき/対馬市)、幕末に福江藩が築いた福江城(五島市)、世界遺産の原城(南島原市)が続日本1

宮崎県三大名城とは!?

宮崎県内で日本100名城に選定されるのは、日南市の飫肥城(おびじょう)のみで、続日本100名城が延岡市の延岡城と宮崎市の佐土原城。それぞれ、藩政時代の飫肥藩、延岡藩、佐土原藩の藩庁で、以上が宮崎県三大名城といえるでしょう。残念ながら高鍋藩の

鹿児島県三大名城とは!?

薩摩藩は兵農分離を行なわず、外城制(とじょうせい)という中世的な制度で支配していました。藩庁となった鹿児島城が日本100名城、シラス台地に築かれた中世の山城の志布志城と知覧城が続日本100名城に選定。以上の3城が鹿児島県三大名城といえる城で

大分県六大名城とは!?

大分県内で日本100名城に選定されるのは、大分府内城(大分市)、岡城(竹田市)の2城、続日本100名城に選定が中津城(中津市)、角牟礼城(つのむれじょう/玖珠町)、臼杵城(うすきじょう/臼杵市)、佐伯城(さいきじょう/佐伯市)で、以上が大分

 

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