福岡県福岡市中央区、福岡市営地下鉄天神駅から徒歩3分、天神のどまんなか、警固公園(けごこうえん)に隣接して建つ社が警固神社(けごじんじゃ)。社伝によれば、仲哀天皇9年(西暦200年)、神功皇后が新羅征伐の際、警固大神が現れ、皇后の船団を警固し(守り)、勝利に導いたという伝説がもとで創建された古社です。
鴻臚館の博多警固所に由来するという古社
社伝によれば、神功皇后の警固という功をたたえ、警固村福崎の丘陵地、現在の福岡城本丸跡にあった鴻臚館(こうろかん=平安時代に設置された外交および海外交易の施設)に、警固三柱大神として祀られたのが始まりとか。
当時外交の舞台となった迎賓館、鴻臚館には、外敵に対する大宰府防衛の前線拠点としての機能もありましたが、この博多警固所が地名の由来にもなったのです。
貞観元年(869年)には朝鮮海賊の来襲を受けていますが、博多警固所が撃退しています。
その後、福岡藩初代藩主の黒田長政が、福岡城築城にあたり現在地に移転。
その後、福岡城の鎮守、城下の氏神として、また2代藩主・黒田忠之の産神として、歴代藩主の尊崇をあつめています。
石造りの鳥居も寛永16年(1639年)、黒田忠之の寄進。
宝物の「木造東照権現坐像 附厨子」は、承応元年(1652年)、黒田忠之が荒戸山に勧請した福岡東照宮(荒戸山東照宮/明治維新で廃絶)の御神体(神仏習合の東照権現)だったもの。
黒田忠之は、筆頭家老・栗山大膳と対立した黒田騒動の当事者で、幕府への忠誠心を示すために荒戸山に東照大権現(徳川家康)を勧請したものと推測できます。
木造東照権現坐像は、東叡山(上野寛永寺)で開眼し、家臣が江戸まで出向き、大坂からは「三光丸」という新造船に乗せて運んでいます。
明治の廃仏毀釈で、黒田忠之ゆかりの警固神社に遷されています(黒田忠之寄進の福岡東照宮の石鳥居は、明治維新後に移設され、上野東照宮の不忍口鳥居になっています)。
福岡藩初代藩主・黒田長政は、糸島・可也山の石材を運んで日光東照宮の大鳥居を寄進していますが、警固神社の石鳥居、上野東照宮・不忍口鳥居もすべて可也山産の石材です。
例年7月下旬に行なわれる例大祭『夏越し祭』は多くの人で賑わうほか、開運厄除け、恋愛成就の神様としても福岡市民に愛されています。
警固神社 | |
名称 | 警固神社/けごじんじゃ |
所在地 | 福岡県福岡市中央区天神2-2-20 |
関連HP | 警固神社公式ホームページ |
電車・バスで | 西鉄福岡天神駅から徒歩1分。福岡市営地下鉄天神駅から徒歩3分 |
ドライブで | 福岡都市高速天神北ICから約1.5km |
駐車場 | 50台/無料 |
問い合わせ | 警固神社 TEL:092-771-8551/FAX:092-721-6856 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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