福岡県糸島市にある弥生時代後期の伊都国(いとこく)国王の墳墓ともいわれる遺跡が、平原遺跡(ひらばるいせき)で、平原歴史公園として公開されています。『魏志倭人伝』に記載の伊都国は、末廬国(まつろこく)から陸を東南に500里進んだ地で、平原遺跡1号墓は、王墓(女王墓)ではないかと推測されています。
平原遺跡1号墳には、伊都国の女王が眠る!?
昭和40年、土地の所有者がミカンの木を植えるための溝を掘ったところ、多数の銅鏡の破片が出土。発掘調査で、平原遺跡1号墓(平原弥生古墳)は14m×12mの四隅が丸い長方形の墳墓で、その中央に木棺が埋葬され、副葬品などから弥生時代終末期のものだと判明したのです。
平原遺跡1号墓(平原弥生古墳)からは、副葬品として直径46.5cmという日本最大の大型内行花文鏡(おおがたないこうかもんきょう)、5面、青銅鏡35面(方格規矩四神鏡32、内行花文四葉鏡2、四螭鏡1)、ガラス勾玉3個、丸玉500個以上、瑪瑙管玉12個などが出土、国宝になっています。
日本最大の銅鏡の出土、そしてひとつの墓から出土した銅鏡の枚数も弥生時代としては日本一であることから、『魏志倭人伝』の記載される伊都国王の墓ではないかと推測されています。
副葬品の中に武器がほとんどないこと、さらにネックレスやブレスレットなどの装身具が多いことから、埋葬されているのは女王と考えられています。
また、奈良文化財研究所などが行なったガラス製品の成分分析からシルクロード沿いのモンゴルやカザフスタンの遺跡などで見つかったものとほぼ共通していることから、地中海の周辺からシルクロードを通って日本にもたらされた可能性が高いことが判明しています。
公園内には出土品を再現した陶壁画や石堀ベンチを配置し、コスモスが植栽。
大型内行花文鏡のうち4面は「伊都国歴史博物館」で、1面は「九州国立博物館」で展示されています。
『魏志倭人伝』には、卑弥呼(ひみこ)の時代に栄えた伊都国には代々の「王」がいたと記述され、これを裏付ける「王墓」として三雲南小路遺跡(みくもみなみしょうじいせき)、三雲南小路遺跡の南に隣接する井原鑓溝遺跡(いはらやりみぞいせき)、平原遺跡の3王墓が確認されており、王都は三雲南小路遺跡・井原遺跡一帯と推定されています。
ちなみに、『魏志倭人伝』記載のひとつ手前の末廬国の王墓と推測されているのが、桜馬場遺跡(佐賀県唐津市桜馬場)です。
平原歴史公園(平原遺跡) | |
名称 | 平原歴史公園(平原遺跡)/ひらばるれきしこうえん(いらばるいせき) |
所在地 | 福岡県糸島市有田 |
関連HP | 糸島市観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR筑前前原駅から井原山線バスで平原古墳入口下車、徒歩5分 |
ドライブで | 西九州自動車道前原ICから約4km、周船寺ICから約5km |
駐車場 | 20台/無料 |
問い合わせ | 糸島市文化課 TEL:092-323-1111 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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