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英彦山・大南神社

大南神社

福岡県田川郡添田町、九州を代表する修験道の霊場、英彦山(ひこさん)の山中に鎮座する古社が、大南神社。英彦山神宮(ひこさんじんぐう)の末社で、断崖(大南窟)にへばりつくように築かれた懸崖造り(けんがいづくり=崖造り)が印象的。祭神は、天火明命(あめのほあかりのみこと)です。

英彦山の岩窟に籠もる籠山修行を今に伝える

英彦山は、中世以降、神仏習合の英彦山権現(権現=仏や菩薩が仮に・権に神の姿に変えて現れること、その神号)として尊崇、修験道の霊山となりましたが、明治維新の神仏分離、廃仏毀釈で英彦山神社となり、昭和50年に英彦山神宮に改称されています。

英彦山は北岳、中岳、南岳の3峰で構成されますが、中岳の山頂に御本社・上津宮(本宮)が、中腹に中津宮、山麓に下津宮が鎮座しています。

神仏習合時代には、北岳・法体権現(祭神・天忍穂耳尊、本地仏・阿弥陀如来)、中岳・女体権現、(祭神・伊弉冉尊、本地仏・千手観音)、南岳・俗体権現(祭神・伊弉諾尊、本地仏・釈迦如来)を祀り、彦山三所権現と総称され、各所に望雲台、稚児落としなどの行場を設けていました。

大南神社も神仏習合時代には不動明王を祀る大南不動堂で、南岳側の山腹、「英彦山の鬼杉」近くに建っています(英彦山神宮・下津宮から徒歩1時間20分)。

大南神社の建つ岩窟・大南窟は、英彦山49窟のひとつで(場所が確定しているのは37窟)、英彦山の修行形態は、籠窟(こもりくつ=修行窟)を中心とした籠山修行(ろうざんしゅぎょう)でした。
英彦山には、耶馬渓層(安山岩質の集塊凝灰岩)の風化で誕生した自然の岩窟が多く、大南窟(大南神社)のほかに、玉屋般若窟(たまやはんにゃくつ=玉屋神社)、文殊窟(もんじゅくつ=学問社)、豊前窟(ぶぜんくつ=高住神社)、不動窟(ふどうくつ=下仏来不動堂)が信仰の対象として現存しています。
よく見ると大南窟(大南神社)の籠窟手前には護摩壇が備えられており、修験者が護摩を焚く場所です。

奈良の吉野山と同様に、修験道、仏教、日本古来の神道が習合する英彦山ですが、そのもっとも古い信仰の形態を留めるのがこの籠窟で、神社に姿を変えた修行窟も現在まで英彦山信仰の中核をなしています。

かつては大南神社から鬼杉へと向かう谷筋に大南宿(おおみなみしゅく)と呼ばれる、大南窟への参籠に備えた宿があり、今も土台部分の石が残されています。

鬼杉から大南神社ヘの道
英彦山・大南神社
名称 英彦山・大南神社/ひこさん・おおみなみじんじゃ
所在地 福岡県田川郡添田町英彦山
電車・バスで JR彦山駅から添田町バス英彦山行き20分、英彦山神宮下下車、徒歩2時間
ドライブで 大分自動車道杷木ICから約31kmで別所駐車場、徒歩1時間30分
駐車場 別所駐車場(100台/無料)
問い合わせ 添田町まちづくり課文化財係 TEL:0947-82-5964
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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