富士講のシンボル富士塚 国の重要文化財に指定は 5基

富士塚

富士山に登拝することを目的とした神仏習合(神道に修験道、仏教が融合)の富士講。江戸中期以降、江戸八百八講といわれるほど隆盛し、その結果、富士山を登拝する代用にと地元に築かれたのが富士塚(ミニ富士山)。築造年代、築造者が明らかなもの5基が国の重要文化財に指定されています。

豊島長崎の富士塚

所在地:東京都豊島区高松2-9-3 富士浅間神社境内
築造時期文久2年(1862年)
築造者月三講(つきさんこう)の椎名町元講(しいなまちもとこう)
規模高さ8m、直径21m
備考通常は7月初旬の土・日曜にお山開きが行なわれ、その時だけ登拝が可能

豊島長崎の富士塚(富士浅間神社)

豊島長崎の富士塚(富士浅間神社)

東京都豊島区高松2丁目、長崎神社の境外末社、富士浅間神社の境内にあるのが豊島長崎の富士塚。文久2年(1862年)に築造された高さ8m、直径21mという大規模な富士塚で、国の重要文化財に指定。塚の表面には富士山から運ばれた溶岩で覆われ、富士講

江古田の富士塚

所在地:東京都練馬区小竹町1-59-2 江古田浅間神社(茅原浅間神社)境内
築造時期天保10年(1839年)
築造者小竹丸祓講(こたけまるはらいこう)
規模高さ8m、直径30m
備考登拝できるのは、正月三が日、山開きの7月1日、そして『浅間神社例大祭』が行なわれる9月第2土曜・日曜の年3回だけ

江古田の富士塚

江古田の富士塚

東京都練馬区小竹町、江古田浅間神社(茅原浅間神社)の境内に築かれている高さ8m、直径30mの富士塚が江古田の富士塚。江戸時代後期の天保10年(1839年)、下練馬村、中新井村、中村の富士講の講中で構成される小竹丸祓講(こたけまるはらいこう)

下谷坂本の富士塚

所在地:東京都台東区下谷2−13−14
築造時期文政11年(1828年)
築造者入谷東講(山東講)・山本善光と大坂屋甚助
規模高さ5m、直径16m
備考富士山の開山に合わせて6月30日と7月1日に山開きが行なわれ、この時だけ登頂可能

下谷坂本の富士塚(小野照崎神社)

下谷坂本の富士塚(小野照崎神社)

東京都台東区下谷2丁目の小野照崎神社(おのてるさきじんじゃ)の境内に築かれているのが下谷坂本の富士塚。下谷坂本富士とも通称される富士講の築いた高さ5m、直径16mの富士塚で、国の重要文化財に指定される5ヶ所の富士塚のひとつです。入谷東講のシ

木曽呂の富士塚

所在地:埼玉県川口市東内野596
築造時期:寛政12年(1800年)
築造者:丸参講・蓮見知重
規模:高さ5.4m、直径20m
備考:登拝自由/頂上には火口が掘られ、中腹をめぐるお中道(おちゅうどう)も

木曽呂の富士塚

木曽呂の富士塚

川口市の見沼通船堀東縁の東側に位置する大きな富士塚が木曽呂の富士塚(きぞろのふじづか)。東京周辺に4ヶ所ある国の史跡になった貴重な富士塚のひとつ。寛政12年(1800年)に富士講の一派である丸参講の信者である蓮見知重の発願で、見沼代用水東縁

志木の田子山富士塚

所在地:埼玉県志木市本町2-9 敷島神社境内
築造時期明治5年6月
築造者丸吉講
規模高さ8.7m、直径30m
備考年間を通じて、「大安」、「友引」は原則として登拝が可能、そのほか正月三が日、節分祭、2月23日(富士山の日)、6月30日(夏越の大祓)、7月第1土曜(山開き)、8月11日(山の日)、8月21日に近い週末(山仕舞い)、七五三などの日が特別入山日と定められています(詳しくは田子山富士保存会HP参照)

田子山富士塚(敷島神社)

田子山富士塚(敷島神社)

埼玉県志木市、敷島神社境内にあるのが田子山富士塚。富士講の信者が、古墳といわれた田子山塚の上に三十三尺(10m)の土を盛り、2年8カ月の歳月をかけ、明治5年6月に丸吉講により完成した富士塚です。現存する富士塚では最大級のもので、国の重要文化

富士講のシンボル富士塚 国の重要文化財に指定は 5基
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