道幅が狭く車の通行が困難な道を「酷道」と呼んだりしていますが、それはまだ、車が通行できることが前提。全国の酷道の中には、国道の指定を受けているものの、車は通れないという部分もあります。テレビなどでも紹介される竜飛岬先端の階段国道は有名観光地になりつつありますが、点線国道という場所も。
「階段であっても国道でOK」と判断!?

階段国道は、津軽半島の先端、竜飛岬(青森県東津軽郡外ヶ浜町)の海岸段丘から岬の先端部に降りる場所で、階段が国道に。
総延長388.2mの歩行者専用の国道で、標高差70mを362段の階段で克服しています。
もともとは三厩村(みんまやむら)の村道で、後に県道、そして国道に昇格を果たしたもので、現在は国道339号。
国土地理院の2万5000分の1地形図にも階段が描かれ、国道色の赤に塗られています。
なぜ階段なのに国道なのかは、担当の役人が書類上で国道昇格を決定し、現地を知らなかったからといわれています。
ただし、実際には担当者が「階段であっても国道でOK」と判断した可能性も。
なぜなら国内には点線国道と呼ばれる、さらに過酷な実態は登山道という国道もあるためです。
もともとは街道だった道、あるいは主要都市を結ぶ山越えの道を国道指定し、山岳地帯の未開通区間が残されたケースです。
その場合は、国土地理院の2万5000分の1地形図に登山道の点線で描かれるので、点線国道と通称されています。
上越国境(群馬県・新潟県の県境)にそびえる脊梁山脈の清水峠を通る登山道は、国土地理院の地形図にも赤く色が塗られた国道291号です。
かつては商人たちが往来した峠越えの道で、冬季は雪に閉ざされてきました。
越後の戦国大名であった上杉謙信(うえすぎけんしんは少なくとも13回、上越国境の三国山脈を越えていますが、いずれのケースも雪が多く、急坂の続く清水峠を避け、三国峠を使っています。
商人たちは三国峠は遠回りということで、この清水峠を利用したのです。
そんな歴史もあって、明治7年に新道として整備され、明治15年には馬車が通れるまでに拡幅しましたが、土砂崩れや雪崩で明治21年に不通に。
後に新潟県側は、山道ながらも賃取り道路(有料道路)となり、明治末までは大いに利用されたのです。
大正9年に国道に昇格しましたが、それでも整備は進まず、とくに群馬県側は大部分が登山道と化しています(道沿いには古い石垣が現存)。

| 【旅のヒント&おもしろネタ】 No.002 驚きの階段国道、点線国道 | |
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