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治水神社

治水神社

江戸時代に行なわれた木曽三川(きそさんせん)の治水工事(分流工事)のうちでもっとも難工事だったのが宝暦の治水工事。工事中に薩摩藩士51名が自害(幕府への届け出は病死)、33名が病死しています。その薩摩藩士を祀り、過酷な工事の歴史を伝えるのが岐阜県海津市の千本松原に鎮座する治水神社です。

徳川幕府の外様大名締め付けに利用した木曽三川分流・治水工事

治水神社拝殿
薩摩義士之像

木曽川、長良川、揖斐川の河口部分では、三川が合流するように流れ、氾濫を繰り返していました。
木曽川から東が徳川御三家筆頭の尾張藩(現・愛知県西部)。
木曽川と長良川は、河口部では寄り添うように並んで流れ、長良川と揖斐川の間が、木曽岬と呼ばれる高須藩(たかすはん=当時は美濃国、現・岐阜県南部)で実は尾張藩の支藩で城主は松平家。
揖斐川から西側が桑名藩(伊勢国=現・三重県北部)で、藩主はここも松平家。

この木曽三川の川と川の間に堤防を築き、氾濫を防ごうという大治水工事が江戸時代に行なわれています。

御三家筆頭の尾張藩と幕府は、宝暦3年(1753年)、外様大名(とざまだいみょう)の薩摩藩に長良川(ながらがわ)と揖斐川(いびがわ)を隔てる堤の工事を命じます。
しかも美濃国高須藩側では尾張藩の御囲堤より3尺(91cm)以上低い堤しか築いてはいけなかったとする伝承もあり、反乱しても尾張藩側に水は流れずという目論見がありました。

薩摩藩の蓄財を防ぐという幕府の目的もあり、遠く離れた鹿児島から出張しての工事のため大きな出費を抱えることになります(工事に従事した薩摩藩士は追加派遣された人数も含め総勢947名)。
さらに幕府は、一汁一菜と食事内容まで規制し(経費削減のため)、地元農民に蓑、草履などまで安価で売らぬよう指示を出し(建前上は地域の活性のため)、結果として栄養不足で病人が続出、そして資金不足という過酷な工事を強いることになったのです。

40万両の巨費をかけて工事は完成しますが、工事責任者の薩摩藩家老・平田靱負(ひらたゆきえ)は、尾張藩や幕府への抗議として自刃という悲しい逸話を残しているのです。
工事完成後に薩摩藩士が故郷から日向松の苗を取り寄せ、背割堤に植えた松が成長し延長1kmの松並木となったものが千本松原。

長良川大橋近くに鎮座する治水神社は昭和13年創建

宝暦治水碑

松原の起点である長良川大橋近くには平田靱負をはじめとする薩摩藩士を祀る治水神社が鎮座しています。
治水神社は地元の人々の浄財で昭和13年に建立。
水難避け、家内安全などにご利益があるとのこと。

境内の幕には、丸に十の字(薩摩藩島津家の家紋)が描かれています。
毎年4月25日と10月25日には、平田靱負と薩摩藩士の功績と供養のための慰霊祭が行なわれています。
三重県桑名市の海蔵寺には、薩摩義士墓所があり、宝暦治水事件で犠牲になった藩士24人の墓があります。

海津市平田町は工事を指揮した平田靱負にちなんだ名前で、海津市平田町三郷にも平田公園があり、平田靱負の銅像が立っています。

ちなみにこの木曽三川の下流域、河口部分が集落全体が堤で囲まれた輪中地帯(わじゅうちたい)です。

治水神社
名称 治水神社/ちすいじんじゃ
Chisui Jinja Shrine
所在地 岐阜県海津市海津町油島
関連HP 治水神社公式ホームページ
電車・バスで 近鉄養老線石津駅から海津市営バス海津巡回バス南回り線で木曽三川公園下車
ドライブで 東名阪自動車道弥富ICから約7km、または、桑名東ICから約8.5km。名神高速道路大垣ICから約24km
駐車場 5台/無料、または、木曽三川公園センター第1駐車場(1100台/無料)を利用
問い合わせ 治水神社 TEL:0584-54-5928
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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