群馬県前橋市の赤城山南麓の古墳密集地帯、城南地区にある大室古墳群(国の史跡)のひとつが前二子古墳。墳丘長94m(全長148m)の前方後円墳で、石室も公開されています。しかも前二子古墳は、明治13年、日本で最初に西洋の科学的な方法を用いて調査された古墳です。
明治13年、アーネスト・サトウが科学的な方法を用いて調査
イギリス政府から派遣された外交官、アーネスト・サトウ(Sir Ernest Mason Satow)は、明治13年に大室古墳群を訪れ、前二子古墳の出土品のスケッチや測定を実施。
石室に塗られた赤色顔料、ガラス玉のサンプルを持ち帰り、それぞれ酸化鉄とカリガラスという化学分析の結果も報告し、日本で最初に西洋の科学的な方法を用いて調査された古墳となっているのです。
調査内容は4月13日の日本アジア協会で発表され、その内容は『日本アジア協会紀要』第8巻第3号に「上野地方の古墳群」として収録されています。
横穴式古墳の出現期である6世紀初頭の前方後円墳で、被葬者は、東国の治定し、上野毛、下野毛の始祖とされる豊城入彦命(とよきいりひこのみこと=崇神天皇第1皇子)とされています。
吉永小百合を使ったポスター、TVCMで注目の、JR東日本、大人の休日倶楽部、令和2年放送の群馬県「古墳王国群馬篇」は、この大室古墳群(前二子古墳、中二子古墳)です。
ちなみに日本アルプスを命名したウィリアム・ガウランド(William Gowland)が古墳に興味をもち、数百基に及ぶ各地の古墳を調査し(精密な測量図と写真という形で調査記録を作成)、イギリス帰国後に発表しているのも、造幣局着任後にアーネスト・サトウと交流をもったから。
その意味からも前二子古墳は、古墳の科学的な研究の出発点といえるのです。
群馬県内に築かれた6世紀初頭の前方後円墳で、初期の横穴式石室を有するのは、前二子古墳のほか、同じ前橋市の王山古墳(おうやまこふん/墳丘長75.6m/総社古墳群)、安中市の簗瀬二子塚古墳(やなせふたごづかこふん/墳丘長80m)が知られています。
横穴式石室は畿内のヤマト王権で取り入れられた新しい葬制であるため、東国の豪族がヤマト王権との密接な関係を有し始めたことがよくわかる貴重な例になっています。
前二子古墳 | |
名称 | 前二子古墳/まえふたごこふん |
所在地 | 群馬県前橋市西大室町2545 |
関連HP | 前橋観光コンベンション協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR前橋駅から日本中央バス大室公園行きで50分、終点下車 |
ドライブで | 北関東自動車道伊勢崎ICから約6.6km。波志江スマートICから約4km |
駐車場 | 大室公園北・南駐車場(530台/無料)を利用 |
問い合わせ | 前橋市文化財保護課 TEL:027-280-6511 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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