兵庫県姫路市妻鹿町甲山にある中世の山城の跡が、国府山城(こうやまじょう)。妻鹿城(めがじょう)とも呼ばれ、羽柴秀吉に姫路城を譲った黒田官兵衛と、父・黒田職隆(くろだもとたか)は、この国府山城(妻鹿城)に入城しています。本丸跡からは姫路城、置塩城(おしおじょう)を眺望できます。
秀吉に姫路城を譲った黒田官兵衛・職隆親子が移り住んだ城
国府山城(妻鹿城)は、元弘の乱(1331年~1333年)の際に、倒幕を掲げて播磨国で挙兵した赤松円心に属して功を立た妻鹿長宗(めがながむね)がこの地を領有して築城したのに始まる山城。
天正8年(1580年)、竹中半兵衛を病で失いながらも三木城主・別所長治(べっしょながはる)を滅ぼした羽柴秀吉は、当初三木城を居城としますが、これに対し、黒田官兵衛は戦略的に不備であることを進言し、自らの居城である姫路城を譲り渡し、父・黒田職隆とともに妻鹿城に移っています。
甲山(標高102.5m)の南麓にある荒神社が登城口で、主郭に上がると姫路城、置塩城を眺望。
市川は当時、京口川とつながり、舟で姫路城下まで移動できたのだとか。
天正13年(1585年)、黒田職隆が没した後、廃城となっています。
登山口から山上までは徒歩20分ほどですが、道は整備されていないため、ファミリーでの登山や、日没間際の入山は厳禁。
妻鹿町内には黒田職隆廟所も残されています。
国府山城(妻鹿城) | |
名称 | 国府山城(妻鹿城)/こうやまじょう(めがじょう) |
所在地 | 兵庫県姫路市飾磨区妻鹿 |
電車・バスで | 山陽電鉄妻鹿駅から徒歩20分 |
ドライブで | 播但連絡道路大塩別所ICから約6km |
駐車場 | あり |
問い合わせ | 姫路観光コンベンションビューロー TEL:079-222-2285 |
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