那賀川橋

那賀川橋

徳島県阿南市、幹川流路延長125kmと徳島県内で最も長い河川(吉野川は徳島県内部分109km)の那賀川(なかがわ)。その下流部に架かるレトロな橋が、那賀川橋です。左岸側は、昭和3年に架橋された4径間の曲弦ワーレントラス橋で、吉野川橋と同じ増田淳(ますだじゅん)の設計。

増田淳が徳島県内で設計した6橋のひとつ

徳島県は、吉野川と那賀川を中心に、「橋の博物館」といわれるほど多彩な橋が架かっています。
白鬚橋(東京都)などを手掛けた増田淳は、四国でも徳島県内で吉野川橋(昭和3年12月18日竣工/土木学会選奨土木遺産)、愛媛県の長浜大橋(昭和10年8月竣工/国の重要文化財)などの名橋で知られていますが、那賀川橋はまさに隠れた名橋です。

那賀川橋の部材の組み方や太さ、曲弦の傾斜角は、吉野川橋と同じで、共通した規格。
橋長337m、徳島県道130号(大林津乃峰線)の橋で、右岸側のRCT桁橋は、那賀川改修工事による引堤でトラス橋に継ぎ足されたもので、昭和17年の完成。

那賀川橋の架かる場所は、当時、日和佐へと通じる唯一の幹線道路、府県道立立江日和佐線が通る場所で、木造の橋では洪水の度に流出して不便だったのです。

那賀川橋は、渡し舟や木造の仮設橋しかなかった那賀川で、初の鉄橋(永久橋)として架けられ、地元の人もその誕生を大いに祝い、地元の徳島毎日新聞は『那賀川橋開通式記念号』を発行しています。
「通初に移り既報森本家三夫婦をはじめ山下知事以下の来賓に羽浦、岩脇、中ノ島各小学校児童は手に国旗を打ふりつつ渡り初を終わるや両岸の群衆は雪崩を打つて橋上に押かけ餅投は中野島から二石羽ノ浦古庄から二石合計四石の餅が撤かれて群衆は物凄い渦を巻き勇援団主催の素人劇は駅前大広場で開演せられ好天気に恵まれて沿岸付近各村からの人出数万と称せられた。来賓に対しては祝宴場に於て祝宴の催しあり夜に入つては橋上に名物煙火仕掛の催しありこれまた同地未曾有の人出で盛観を呈した」(徳島毎日新聞『那賀川橋開通式記念号』)。

ちなみに増田淳が徳島県内で設計した橋は、吉野川橋(設計年大正15年/ワーレントラス橋17連)、那賀川橋(大正15年)、勝浦川橋(大正13年)、大松川橋(大正13年)、三好橋(大正13年)、穴吹橋(大正15年)ですが、いずれの橋も徳島県の11大橋梁架設計画によるものです。

那賀川橋
名称 那賀川橋/なかがわばし
所在地 徳島県阿南市羽ノ浦町古庄大道ノ西〜上中町南島・中原
ドライブで 徳島自動車道徳島ICから約22km
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
那賀川河口

那賀川河口

徳島県阿南市、幹川流路延長125kmと徳島県内で最も長い河川(吉野川は徳島県内部分109km)の那賀川が紀伊水道に出る場所が、那賀川河口(なかがわかこう)。あまり知られていませんが河口幅は1770mもあり、河口幅日本一の富士川河口(1950

吉野川橋

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吉野川橋は、徳島市を流れる一級河川吉野川にかかるワーレントラス橋で、昭和3年12月18日の完成。全長1070.2mで、架設当時その長さは東洋一といわれました。現在も県道39号の橋として現役の橋です。吉野川北岸から吉野川橋と眉山を眺めた風景は

長浜大橋

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愛媛県大洲市の肱川(ひじかわ)河口に架かる橋で現存する日本最古の道路開閉橋が長浜大橋。全長226mの橋の中央部の18mの区間を跳ね上げて開閉することができる可動橋で昭和10年の完成。架橋当時、肱川は内子の木蝋(もくろう)、木材搬出の舟運など

 

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