兵庫県神戸市兵庫区切戸町にある弘安9年(1286年)の年号が刻まれた高さ8.5mの十三重の塔が清盛塚(兵庫県の文化財)。石塔の隣に平清盛像と、平安貴族が愛用した楽器・琵琶(びわ)の名手・平経正(たいらのつねまさ)の琵琶塚が築かれています。
地元には平清盛の墓という伝承も
『平家物語』巻6・入道死去には、平清盛の遺体は京・愛宕山で火葬され、遺骨は側近の円実法眼(えんじつほうげん)が頸にかけて摂津の国に下り、経の嶋(経ヶ島=平清盛が大輪田泊修築の際に築いた人工島)に納めたと記されています。
そのことから清盛塚は、平清盛の墳墓として伝えられてきましたが、大正12年、神戸市電の軌道敷設にともなう道路拡張工事の際、北東側に10mほど移築した際の調査で墳墓ではないことが判明。
西大寺を再興した鎌倉時代の名僧・叡尊(えいそん)が弘安8年(1285年)8月14日に兵庫で「石塔供養」を行なったという記録があることから、近年の研究ではこの石塔が「清盛塚」と呼ばれる十三重石塔ではないかとする説が有力になっています(近くに平清盛の墓があった可能性はあります)。
鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』養和元年閏二月四日条には、平清盛の遺骨は遺言によって播磨国山田(平清盛の山荘のひとつがあったと推測されています)の法華堂に納められたと記されているので、経ヶ島、あるいは播磨国山田(現・神戸市垂水区西舞子町一帯)のいずれかに眠っていることに(法華堂は廃絶され、どこにあったのかもわかっていません)。
清盛塚に隣接する琵琶塚は、以前は清盛塚と小道を挟んで北西の地にあった前方後円墳で、楽器の琵琶の形をしていました。
そのことから琵琶の名手・平経正と結び付け、経正の塚として伝えられてきたもの(古墳時代とは年代が大きく異なるのでこちらはあくまで伝承に過ぎません)。
石碑は明治35年、自然石を利用して有志が建てたもので、大正12年に清盛塚の移転に伴って、その横に石碑のみを移しています。
平経正は、寿永3年(1184年)、一ノ谷の合戦(現在の神戸市兵庫区・中央区・須磨区一帯で行なわれた源平合戦)で、河越重房(かわごえしげふさ)の手勢に討ち取られて戦死しています。
平清盛像は、神戸開港百年(昭和41年が神戸港開港100年)を記念して、昭和47年、地元有志によって建立されたもので、朝倉文夫に師事した彫刻家・柳原義達(やなぎはらよしたつ)の制作。
清盛塚・琵琶塚 | |
名称 | 清盛塚・琵琶塚/きよもりづか・びわづか |
所在地 | 神戸市兵庫区切戸町1-3 |
関連HP | 神戸観光局公式ホームページ |
電車・バスで | 神戸市営地下鉄中央市場前駅から徒歩7分 |
ドライブで | 阪神3号神戸線柳原出口から約1km |
問い合わせ | 神戸観光局 TEL:078-230-1120/FAX:078-230-0808 |
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