兵庫県豊岡市出石町、出石城(いずしじょう)の稲荷丸(稲荷曲輪)にある神社が、有子山稲荷神社(ありこやまいなりじんじゃ)。慶長9年(1604年)、出石藩の藩主となった小出吉英は、山上にあった有子山城を廃城にして、山麓に出石城を築き、出石藩の藩庁に。その際、出石城の鎮守社としたのが有子山稲荷神社です。
有子山城、出石城の鎮守社で、但馬守護・山名祐豊が創建
天正2年(1574年)、但馬守護・山名祐豊(やまなすけとよ)は、織田信長軍の攻勢を前に、居城を此隅山城(このすみやまじょう/出石神社の北にある標高140mの此隅山)から同じ但馬国出石郡の有子山に移し、有子山城を築城。
有子山稲荷神社の社伝によれば、その際、有子山山上の山城に京の伏見稲荷から保食神(うけもちのかみ)の分霊を勧請して創建したと伝えられています。
慶長9年(1604年)、小出吉英が近世城郭として山麓に出石城を構築した際に、鎮守社として山麓の稲荷丸に遷座したもの。
以降、藩主は歳首(さいしゅ=年の始め)、参勤交代で江戸表に参勤の際には、必ず参拝することを習わしにし、寛保2年(1742年)、出石藩3代藩主・仙石政辰(せんごくまさとき)が社殿を造営、文化2年(1805年)には仙石久道(せんごくひさみち=藩財政を困窮化させ、仙石騒動の遠因となったといわれる藩主)が拝殿を再建しています。
階段状に三の丸、二の丸、本丸、稲荷丸が築かれた出石城で、最も高台にあるのが稲荷丸。
そのため、国の重伝建に選定される出石城下町を一望にします。
山麓から37基の鳥居が並ぶ157段の石段を上った先が、稲荷丸。
出石城が近世城郭として構築された際、廃城となった山上の有子山城の登山口にもなっていて、稲荷丸から石段をさらに登れば、有子山城の城跡。
雪の但馬に春到来を告げる『出石初午大祭』(いずしはつうまたいさい/現在は3月第3土曜日を中心に前後3日間)は、商売繁盛・五穀豊穣を願う祭り。
藩政時代、旧暦2月の最初の午の日に、出石城の大手門を開放し、城内の有子山稲荷神社に参拝を許したことに始まる祭礼です。
往時には祭りの日に、遠く丹波(現在の京都府中部・北部、兵庫県北東部)、丹後(京都府北部)からも参拝する人がいたと伝えられ、三丹(さんたん=但馬、丹後、丹波)随一の祭りとされていました。
有子山稲荷神社 | |
名称 | 有子山稲荷神社/ありこやまいなりじんじゃ |
所在地 | 兵庫県豊岡市出石町内町39 |
関連HP | 但馬國出石観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR豊岡駅から全但バス出石行きで30分、出石営業所下車、徒歩5分 |
ドライブで | 北近畿豊岡自動車道八鹿氷ノ山ICから約10km |
駐車場 | 西の丸市営駐車場(有料)、大手町駐車場(有料) |
問い合わせ | 但馬國出石観光協会 TEL:0796-52-4806 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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