【豊臣兄弟!】豊臣秀長が唯一敗れた、「淡河城の戦い」

淡河城

兵庫県神戸市北区淡河町淡河にある、中世の城、淡河城(おうごじょう)。令和8年のNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』の主人公のひとり、豊臣秀長が唯一敗れた「淡河城の戦い」の舞台となったことは、あまり知られていません。城跡は本丸跡が公園化され、櫓風の建物が復元されています。

羽柴秀長、淡河定範の繰り出す奇策に敗れる

淡河城
河岸段丘上に築かれた淡河城、復元された櫓がそびえる

織田信長の命を受けた羽柴秀吉の中国攻めで、天正7年(1579年)、別所長治(べっしょながはる)配下の淡河定範(おうごさだのり)が守備する淡河城を攻めたのが、羽柴秀長(後の豊臣秀長)。

淡河定範は、三木城主・別所就治の娘を正室に娶り、別所家とは姻戚関係の間柄。
羽柴秀吉(豊臣秀吉)が三木城を攻めた際、兄の羽柴秀長は、淡河城攻略を担ったのですが、知将・淡河定範の前に苦戦を強いられます。

三木城の籠城戦では、毛利家が三木城へ海路物資を搬入、淡河城からも陸路で物資などが運ばれたため、淡河城も攻略の重要拠点となったのです。

羽柴秀長も容易(たやす)く攻略できるとは考えておらず、河岸段丘の突端部という天然の要害に築かれた淡河城の周囲に付城を築いて、威圧しています。
淡河定範は、「淡河は油断している」と流言飛語を撒きながら城の周囲に馬房柵、逆茂木、車菱を設置、落とし穴などを掘って敵襲に備えます。

なかでも奇策として後世に伝えられるのが、淡河城から放たれた牝馬。
秀長軍の先鋒だった騎馬隊の雄馬は、牝馬の群れに興奮、立ち上がって馬上の主を揺れ落とし、踏みつけたのです。
こうして、むしろおびき寄せたともいえる戦略にまんまと秀長軍は引っ掛かり、大混乱に。
羽柴秀長、初となる手痛い敗戦となったのです。

それでも物量に勝る羽柴秀長軍の再襲来にはとても耐えるものではないことを悟っていた淡河定範は、、三木城に移動し、一族郎党300人を引き連れて籠城戦に参戦、淡河城は開城となったのです。

その後、淡河定範は、毛利方の兵糧搬入に際して羽柴軍と激突、ここでも死んだふり作戦などを試みますが、力尽きて自刃したと伝えられています。

淡河城
本丸と壕などが現存
【豊臣兄弟!】豊臣秀長が唯一敗れた、「淡河城の戦い」
名称 淡河城/おうごじょう
所在地 兵庫県神戸市北区淡河町淡河380
駐車場 なし
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