広島県竹原市本町1丁目・3丁目・4丁目、平安時代、京・下鴨神社(賀茂御祖神社)の荘園として、江戸時代には塩田で栄えた歴史を有する小京都・竹原。下市地区周辺には江戸時代の町並みが残り、竹原市竹原地区伝統的建造物群保存地区に選定、老舗の酒蔵も残され、昔町の散策に絶好のエリアになっています。
製塩業で富を蓄積、廻船や酒造で繁栄した町並みを散策
中世末頃には港を控えた市場集落、港町として機能した竹原ですが、赤穂から塩田技術を導入して慶安3年(1650年)に新開に入浜式塩田が開発され、廻船業や酒造業とともに製塩(「竹原塩」)の利益で町は飛躍的に発展。
その経済力を背景に、本町通り(ほんまちどおり)に沿って、2階建て、切妻造り本瓦葺き、大壁造りの町家が並ぶ家並みが形成されていきました。
竹原市竹原地区伝統的建造物群保存地区(重伝建)に選定されるエリアは竹原市竹原町の上市、小路、下市、田中、そして地蔵の一部を含む5.0ha(現在の竹原市本町1丁目・3丁目・4丁目の一部)。
現在、港は外港に移転し、塩田は埋め立てられ、港湾部分と塩田には昔の面影はありませんが、町並みには港町・塩田の町としての色彩が色濃く残されています。
妻入りと平入りの建物が混在し、さらに角地には入母屋造りの建物があって、景観に変化をもたらせています。
江戸時代中期から明治時代に建てられた町家の正面には出格子(でごうし)、平格子、千本格子など美しい格子が現存しています。
財力を有した商人たちは、商いで交流を結んだ上方の国学、朱子学などの学問、漢詩や茶道などの文化、芸術に親しみ、頼山陽をはじめとする数多くの町人学者を輩出しています。
江戸時代中期の建物が現存する頼惟清旧宅(らいただすがきゅうたく)、「浜旦那」(塩田を営んだ豪商)の家である松阪家住宅、大正初期に完成した旧森川家住宅(主屋は明治時代前期に塩田経営で財を成した富豪・山路家を大正時代に移築)、京・清水寺の舞台を模した西方寺・普明閣、国の重要文化財に指定・高麗鐘のある照蓮寺、竹原の三銘酒(竹原三蔵)の蔵元である竹鶴酒造(代表銘柄は「竹鶴」)、藤井酒造(「龍勢」)のほか、中尾酒造(「誠鏡」)など見どころも豊富。
竹鶴酒造は、ニッカウヰスキー創業者・竹鶴政孝(たけつるまさたか)の生家(屋号は「小笹屋」)で享保18年(1733年)創業。
竹原が「日本のウイスキーの父」と称される竹鶴政孝を輩出したのも、こうした文化的な素地があったからなのです(竹鶴家は頼家、吉井家と並ぶ竹原の三大塩田地主/竹鶴政孝は分家筋ですが、父・竹鶴敬次郎が後見として本家に入って酒造業を継いでいます)。
「竹原市歴史民俗資料館」(昭和初期、図書館として建てられた洋風木造建築を再生)の横には竹鶴政孝・リタ像も立っています。
広島県内の伝統的建造物群保存地区(重伝建)は、竹原市竹原地区伝統的建造物群保存地区のほか、呉市豊町御手洗、福山市鞆町、廿日市市宮島町の合計4ヶ所です。
竹原市竹原地区伝統的建造物群保存地区 | |
名称 | 竹原市竹原地区伝統的建造物群保存地区/たけはらしたかはらちくでんとうてきけんぞうぶつぐんほぞんちく |
所在地 | 広島県竹原市本町1丁目、3丁目、4丁目 |
関連HP | 竹原市公式ホームページ公式ホームページ |
電車・バスで | JR竹原駅から徒歩10分 |
ドライブで | 山陽自動車道河内ICから約13km |
駐車場 | 新町市営駐車場(47台/有料)など周辺の有料駐車場を利用 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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