特殊潜航艇基地大浦突撃隊大迫支隊跡

特殊潜航艇基地大浦突撃隊大迫支隊跡

広島県呉市倉橋町、倉橋島の海岸沿いを走る広島県道286号(中大迫清田線)沿いにあるのが、特殊潜航艇基地大浦突撃隊大迫支隊跡。第2次世界大戦末期の特殊潜航艇基地の跡で、「蛟龍」(こうりゅう)と名付けられた特攻兵器甲標的丁型(搭乗員は5名)に搭乗して特攻する任務に就いていた場所です。

第二次世界大戦末期、倉橋島に特殊潜航艇の基地が

山口県の柳井にあった潜水学校柳井分校で卒業した学生の多くは、倉橋島大浦崎の実施部隊大浦突撃隊(現・広島県立水産試験場/特殊潜航艇P基地)に配属され、6月1日付で予備学生は海軍少尉に任官、予備生徒は海軍少尉候補生となり、特攻任務に備えていました。

大浦突撃隊が手狭になったため、大迫支隊(Q基地)が編成されたのです。
突撃隊員の手記によると、説教と上官からの暴行(なぐり)が日常化していたといい、死と常に直面する隊員としてはかなり劣悪な環境にあったことが想像できます。

「蛟龍」は、本土防衛を目的に建造された特殊潜航艇で、空母・ 輸送艦、巡洋艦 ・駆逐艦、戦艦への特攻兵器。
昭和20年秋までに600隻の建造計画が立てられ、呉海軍工廠の大浦突撃隊(倉橋島P基地)、大迫Q基地、さらには横須賀海軍工廠、舞鶴海軍工廠で製造されました。
一部は沖縄戦で実戦に使われ、また一部は空襲で失われるなどしましたが、多くは使われることなく終戦を迎えています。

現在は平和な海岸に「特殊潜航艇基地大浦突撃隊大迫支隊跡碑」が立つのみとなっています。

「特殊潜航艇基地大浦突撃隊大迫支隊跡碑」建碑由来

大東亜戦争方に酣に敵の反攻頓に熾烈を加ふる昭和十九年四月 海軍は此處に機密訓練基地を設け 対岸大浦崎の特殊潜航艇P基地に呼應してQ基地と称す 同年七月第一特別基地隊の編成なるやその麾下に入り 二十年三月大浦突撃隊大迫支隊と改称 決死報国の将兵二千を聚む 處は是碧河清冽の地 隊員維悉殉忠の士 朔風炎熱を冒し 敵必滅の戦技を練り 勇躍出撃せる若桜又少からず 然るに同年八月忽として終戦の詔を拝し 整然隊を解く 爾来三十余星霜 茲に往時を追懐し銘碑を刻して後昆に傳ふ

特殊潜航艇基地大浦突撃隊大迫支隊跡
名称 特殊潜航艇基地大浦突撃隊大迫支隊跡/とくしゅせんこうていきちおおうらとつげきたいおおさこしたいあと
所在地 広島県呉市倉橋町
ドライブで 広島呉道路呉ICから約33km
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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