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大久野島・研究所跡

大久野島・研究所跡

広島県竹原市、現在では「うさぎの島」として有名な大久野島ですが、昭和4年から日本の化学兵器製造拠点として毒ガスの製造を行なった島。そのため重大な国家機密の島として、「地図から消された島」にもなっていますが、その研究施設の跡が、大久野島毒ガス資料館近くの研究所跡です。

毒ガスの管理、検査などが行なわれた施設

大久野島毒ガス資料横に2棟並んだ建物は、左が検査工室、右が研究室と薬品庫(研究所)。
ここで毒ガスの管理、機密書類の保管、毒ガスの検査などが行なわれていました。

戦後、大久野島国民休暇村(現・休暇村大久野島)として整備された際には一時期、宿泊施設に転用されたこともありました。
一帯が現在、休暇村大久野島本館の建つ三軒家地区で、戦前は毒ガス開発の中心だった場所です。

大久野島・研究所跡
名称 大久野島・研究所跡/おおくのしま・けんきゅうじょあと
所在地 広島県竹原市忠海町5491
電車・バスで 大久野島第一桟橋から徒歩2分、大久野島第二桟橋から徒歩10分
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

大久野島毒ガス資料館

広島県竹原市、大久野島の第一桟橋近くにあるのが、大久野島毒ガス資料館。戦前、戦時中、大久野島では帝国陸軍の化学兵器(毒ガス)開発が行なわれたことから、地図にも記載されず、「地図から消された島」といわれていました。そんな戦前、戦時中の歴史を

大久野島・長浦毒ガス貯蔵庫跡

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大久野島・三軒家毒ガス貯蔵庫跡

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