「蔵のまち喜多方」として知られる福島県喜多方市には、町中に数多くの蔵が残っている。粗壁、白亜、黒漆喰などの古めかしい蔵が、およそ4200棟あるといわれ、その大半が現役。蔵造りの文化を後世に伝えることを目的に設置された施設が喜多方蔵の里で、店蔵、味噌蔵、穀物蔵、蔵座敷、勝手蔵などを保存し、見学ができます。
蔵の家並みを再現し、蔵内部の見学も可能
喜多方市内の蔵は、現役で使われるものも多く、内部を見学できるものは少ないのですが、堅牢な造りの蔵は、その外観を眺めるだけでも、充分に風格が感じられます。
内部を見たい人におすすめなのが、喜多方蔵の里。
旧井上家穀物蔵、旧唐橋家味噌醸造蔵、座敷蔵、勝手蔵、旧猪俣家穀物蔵、旧東海林家酒造蔵、旧冠木家蔵店の7つの蔵と郷頭屋敷旧外島家住宅、肝煎屋敷旧手代木家住宅という2つの古民家を移築したもので、いずれも内部の見学が可能。
郷頭屋敷旧外島家住宅は、江戸初期から幕末まで慶徳町豊岡地区で、郷頭(ごうがしら=会津藩で代官の下に置かれ1万石ほどの村々を支配した大庄屋)を務めた外島家の住宅で、明和8年(1771年)築の曲り家。
肝煎屋敷旧手代木家住宅は、江戸後期から明治初期まで、下三宮村の肝煎(きもいり=庄屋、名主と並ぶ地方三役のひとつ)を務めた手代木家の住宅(曲り家)で、明治元年の農民一揆打ち壊しによると伝えられる多数の柱傷も現存しています。
会津型紙の資料を展示の旧井上家穀物蔵、会津の郷土史家・二瓶清コレクション(考古学的収集資料)を展示の勝手蔵など、蔵の内部には郷土資料など興味深い展示も行なわれています。
喜多方が「土蔵文化の博物館」になったワケは!?
会津の北方に位置していたことから、古来、北方(きたかた)と呼ばれた喜多方。
街道の要衝、物資の集散地として栄え、明治時代には鉱山、鉄道に使われる煉瓦(レンガ)を焼成する登り窯もでき、煉瓦蔵も建築されています。
そんな喜多方に蔵が多く築かれたのは、
(1)喜多方が物資の集積地で、保管庫が必要だった
(2)良質の水と米に恵まれた喜多方の醸造業、漆器業にとって蔵は必需だった
(3)明治13年の喜多方大火で蔵だけが焼け残り、その耐火性が証明された
(4)「40代で蔵を建てられないのは、男の恥」といわれ、対抗心をかりたてた
(5)蔵造りの名工(設計者)が数多く居住
という理由があります。
ただし、耐火目的ということもあり、その用途は倉庫だけでなく、地場産業と結びついた酒・味噌・醤油の貯蔵庫(酒蔵・味噌蔵・醤油蔵)や漆器職人の作業場(塗り蔵)、店舗(店蔵)、商品蔵、住居(蔵座敷)、別邸としての隠居蔵、屋敷の塀(塀蔵)、トイレ(厠蔵・かわやぐら)など多様で、現存しているのが特徴。
素材も基本的な白漆喰(しろしっくい)のほかに、黒漆喰、レンガ、土壁が使われ、市街地から離れた農村集落に煉瓦蔵が建ち並ぶなど、喜多方らしい景観を生み出しています。
喜多方蔵の里 | |
名称 | 喜多方蔵の里/きたかたくらのさと |
所在地 | 福島県喜多方市押切2-109 |
関連HP | 道の駅蔵の郷公式ホームページ |
電車・バスで | JR喜多方駅から徒歩15分 |
ドライブで | 磐越自動車道会津若松ICから約18.2km。または、会津坂下ICから約18.9km |
駐車場 | 喜多方プラザ文化センター駐車場(117台/無料) |
問い合わせ | 喜多方蔵の里 TEL:0241-22-6592/FAX:0241-22-6594 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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