若喜商店煉瓦蔵

若喜商店煉瓦蔵

福島県喜多方市にある宝暦5年(1755年)、若松屋喜祖衛門が創業という老舗の味噌醤油醸造所が若喜商店。明治37年の鉄道開通に際して喜多方では煉瓦(レンガ)の生産が始まりますが、民間利用の第1号が明治38年築の若喜商店の煉瓦蔵。店舗の背後に、脇道に面して建つ煉瓦造り3階建ての道具蔵で国の登録有形文化財に指定。

喜多方産レンガが初めて民間で使用された蔵

若喜商店煉瓦蔵

喜多方の煉瓦生産を創始した樋口市郎(ひぐちいちろう=新潟出身の瓦職人)は、当初、若喜商店で働きながら瓦生産の適地を探したのです。
その後、三津谷に登り窯を築き、樋口煉瓦工場を設立して煉瓦の焼成に乗り出したのです。

樋口市郎は新潟の瓦職人だったため、瓦の凍害対策として灰汁を釉薬に使用していましたが、それを煉瓦にも応用し、オリジナルの釉薬煉瓦(ゆうやくれんが)を生み出しています。

若喜商店煉瓦蔵の煉瓦が、個々で色合いや風合いが異なるのは、登り窯での焼成時の窯変(ようへん)のため(酸化や還元、窯の温度、施釉の濃淡、窯の冷える速度などの違いで出来上がりの色が微妙に変化)。
喜多方の煉瓦蔵が独特の雰囲気を生み出しているのは、実は、この釉薬煉瓦だったからなのです。

若喜商店煉瓦蔵の施工は喜多方にレンガ建築を普及させた田中又一(たなかまたいち)。
12歳で煉瓦師(レンガ職人)に憧れ、東京へ出て清水組(現・清水建設)のお抱え煉瓦師のもとでレンガ積みを学び(当時、東京はレンガ建築の建設ラッシュで、最先端で一流の技術が習得)、明治33年、喜多方に帰郷。
明治35年、故郷の喜多方で木造骨組の外側にレンガ(樋口煉瓦工場で焼成)を積んだ岩月尋常小学校(現・第三小学校/煉瓦校舎は現存せず)を建築、そして民間利用の第1号として明治38年、若喜商店煉瓦蔵を築いているのです。

1階はすべて縞柿(しまがき=全面に細い線が水墨画のようになっている貴重な杢目の材)からなる縞柿の間、2階は総欅造りの欅の間(けやきのま=非公開)で、味噌醤油を醸造販売する若喜商店の迎賓館的な存在です。
煉瓦蔵の東に接続して建つ座敷蔵も煉瓦蔵と同様に国の登録有形文化財に指定。

隣接する若喜商店の店舗部分は、木造タイル張りのモダニズム建築ですが、やはり国の登録有形文化財。
木桶で熟成させる昔ながらの「若喜天然醸造醤油」などを販売しています。

ちなみに、喜多方の煉瓦建築は、樋口市郎、田中又一のコンビが生み出したもので、この若喜商店煉瓦蔵はそのシンボル的な存在なのです。

若喜商店煉瓦蔵
名称 若喜商店煉瓦蔵/わかきしょうてんれんがぐら
所在地 福島県喜多方市3-4786
関連HP 若喜商店公式ホームページ
電車・バスで JR喜多方駅から徒歩12分
ドライブで 磐越自動車道会津若松ICから約16km。または、会津坂下ICから約18km
駐車場 8台/無料
問い合わせ 若喜商店 TEL:0241-22-0010/FAX:0241-23-1446
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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