柴田勝家の甥・柴田勝豊(しばたかつとよ)が天正4年(1576年)、北ノ庄城(福井城)の支城として築城した城で、藩政時代には丸岡藩の政庁となりました。天守は江戸時代初期のままの状態で現存し、現存する日本最古級の天守となっています。「日本100名城」、「日本さくら名所100選」、「日本の歴史公園100選」に選定。
安土桃山時代に築かれた天守が現存!?
安土桃山時代の天正4年(1576年)、一向一揆の備えとして織田信長の命で、柴田勝家が甥・柴田勝豊に築かせたのが丸岡城です。
現存する天守は、柴田勝豊創建当時のものと長らく伝承されてきましたが、酸素同位体年代調査などの結果、平成31年3月、建造時期は江戸時代初期、寛永年間(1624年~1644年)と判明しています。
柴田勝豊は 本能寺の変の後の清洲会議で近江国・長浜城へと移り、城主には、安井家清を城代として置いています。
柴田勝家が北ノ庄城で秀吉に滅ぼされると、丸岡城は丹羽長秀配下の青山宗勝が城主となり、その子・青山忠元と目まぐるしく城主が替わっています。
関ヶ原合戦で青山忠元は西軍に付いたので、戦後、結城秀康家臣の今村盛次が入城しています。
慶長18年(1613年)、本多成重が入城。
本多氏はお家騒動が起こり4代で改易となり、元禄8年(1695年)、越後・糸魚川から有馬清純(ありまきよすみ)が5万石で入城し、幕末に至るまで8代にわたって有馬家の治世が続きました。
屋根瓦は地元の笏谷石で、雨に濡れるとさらに素敵に!
現存12天守(弘前城、松本城、丸岡城、犬山城、彦根城、姫路城、備中松山城、松江城、丸亀城、松山城、高知城、宇和島城)のひとつである丸岡城天守は、屋根が二重、内部は三層と古調に富んだ望楼式で城郭建築の初期の様式を今に伝える貴重なもの。
昭和23年に福井大震災により倒壊しましたが修復され、国の重要文化財に指定されています。
1階の壁には、真下の敵に石を落とす「石落とし」、鉄砲や矢を放つ「狭間」(さま)などの実戦的な配備が。
江戸時代に築かれた近世的な城郭ですが、優美さよりも質実剛健、実戦的という工夫が随所に見受けられます。
天守内部は見学が可能ですが、階段などは敵兵の容易な侵入を防ぐために急峻。
安全のために補助用のロープが設置されています。
また6000枚の天守屋根の瓦がすべて地元の足羽山で採掘される笏谷石(しゃくだにいし)で葺かれている点にも注目。
越前青石とも呼ばれるブルーグリーンの石で、ぬれると青みがさえる特性があるため、雨の日に訪れると「物憂げな表情に変化する」といわれています。
一般的な土製の瓦では寒暖差に耐えきれず劣化して割れてしまため、寒さに強い石瓦が用いられているのです。
屋根にのる鯱(しゃちほこ)は、現在は木製で銅板張りとなっていますが、往時にはこの鯱も笏谷石製だったのです。
公園となった城跡は「日本のさくら名所100選」に選定
館、城門などは藩籍奉還後に破却、あるいは売却され現存するのは天守と野面積みの石垣のみとなっています。
江戸時代には五角形の幅広い内堀(最大幅は91m)に囲まれていましたが、残念ながらその堀も埋め立てられて現存しません。
天守閣周辺は霞ヶ城公園として整備され、400本のソメイヨシノが植栽され、「日本のさくら名所100選」に選定。
例年4月上旬〜中旬に『丸岡城桜まつり』を開催。
公園内の300本のぼんぼりが点灯し夜桜見物も楽しめます。
ちなみに天守周辺は角川映画『戦国自衛隊』(千葉真一主演/昭和54年)のロケ地にもなっています。
丸岡城(霞ヶ城公園) | |
名称 | 丸岡城(霞ヶ城公園)/まるおかじょう(かすみがじょうこうえん) |
所在地 | 福井県坂井市丸岡町霞町1 |
関連HP | 坂井市丸岡観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR福井駅から京福バスで本丸岡行きで15分、丸岡城下車すぐ |
ドライブで | 北陸自動車道丸岡ICから約2km |
駐車場 | 150台/無料 |
問い合わせ | 丸岡城(霞ヶ城公園) TEL:0776-66-0303 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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