茨城県常陸大宮市を流れる久慈川の辰ノロ堰周辺に築かれた公園が辰ノ口親水公園。公園内には、展望台やモトクロス用の自転車コースや遊具施設が揃ったトリム広場、自然観察路などが整備。あじさい園、桜づつみなどにソメイヨシノ、センダイヤ、バラなどが植栽され、花見の名所にもなっています。
「そば処しんすい庵」では自慢のそばも味わえる!
江戸時代初期の旱魃、大凶作の経験から、水戸藩主・徳川頼房(とくがわよりふさ)の命を受けて慶安3年(1650年)、永田茂衛門(ながたもえもん)・勘衛門(かんえもん)親子が築いたのが辰ノロ堰。
当初より100m下流に築かれた現在の鋼製ローラーゲート可動堰は、昭和57年の完成。
堰延長233.8mの辰ノ口堰から取水した農業用水は、現在、常陸大宮市、常陸太田市の水田1100haを潤しています。
堰によって溜められた水は水路を通って下流の水田を潤しますが(辰ノロ堰の幹線用水路は常陸太田市粟原町まで延長21km)、水路のことを「江」(え)と呼ぶので、全体を辰ノロ江堰とも称していました。
公園内の「ふるさと館」(さけ展示館)では、「サケの一生」の展示のほか、アユなど久慈川に生育する淡水魚を展示。
「そば処しんすい庵」では常陸大宮産の玄そばを自家製粉した手打ちそばを味わうことができるほか、そば打ち体験も実施しています。
高台(久慈川との比高は60mほど)にある高さ29mの展望台までは車道も通じており、車で到達できます。
永田茂衛門の築いた辰ノ口堰
久慈川、那珂川流域の穀倉地帯は、近世の初めまで旱魃(かんばつ)、洪水などの被害に悩まされていました。
江戸時代初期の寛永18年(1641年)〜寛永19年(1642年)、水戸藩は大旱魃で、天水を頼る田畑が多かったことから米がほとんど収穫できないという凶作にみまわれてしまいました。
その反省から、灌漑施設の建設に金山採掘で培った土木技術のある鉱山技師の永田茂衛門を抜擢。
永田茂衛門は、甲州の黒川金山(現在の山梨県甲州市塩山上萩原にあった金山)の金山開発を担った金山衆(かなやましゅう)と呼ばれる鉱山技師でした。
武田氏滅亡後は徳川家康に仕え、金山採掘者を従えて、鉱山技師として働いていたのです。
当時、常陸国(茨城県)は、越後、佐渡に次ぐといわれる金の産出量を誇っていたので、永田茂衛門・勘衛門親子も常陸国北部、町屋金山(常陸太田市)で働いていました。
永田親子を抜擢したのも武田氏の遺臣・望月五郎左衛門です。
永田茂衛門は、正保2年(1645年)から久慈川沿岸を調査し、久慈川から水を取り入れる堰の建設を決意し、慶安3年(1650年)に辰ノ口堰を、承応元年(1652年)に岩崎江堰(岩崎堰)を、さらに万治元年(1658年)には那珂川に小場江堰を築き、旱魃の被害から農民を救済したのです。
この3つの堰が水戸藩の三大江堰と呼ばれています。
岩崎江堰(岩崎堰)も現役で、常陸大宮市、那珂市の水田755haを潤しています。
辰ノ口親水公園(展望台) | |
名称 | 辰ノ口親水公園(展望台)/たつのくちしんすいこうえん(てんぼうだい) |
所在地 | 茨城県常陸大宮市辰ノ口1339-2 |
関連HP | 常陸大宮市観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR常陸大宮駅からタクシーで10分 |
ドライブで | 常磐自動車道那珂ICから約20km |
駐車場 | 80台/無料 |
問い合わせ | 辰ノ口親水公園 TEL:0295-52-1583/FAX:0295-52-1583 |
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