徳川家康には正室の築山殿(つきやまどの)、築山殿没後の正室である朝日姫(豊臣秀吉の妹)のほかに数多くの側室がいて60代になってからも子供が生まれています。側室の数は正確にはわかりませんが20人ほどいたとされるのです。家康には11人の息子、5人の娘がいましたが、その生涯を確認してみましょう。
徳川御三家の祖は、家康最晩年の子供たち
家康の長男(嫡男)は、織田信長から武田氏との密通の疑いを掛けられて自害した悲運の松平信康。
母である正室・築山殿も家康の家臣によって斬殺されているのです。
続いて迎えた正室は秀吉の妹だったので、側室を迎える気持ちになったのかもしれません。
家督を継いで2代将軍となった徳川秀忠は、5番目に生まれた3男。
次男の結城秀康は秀吉との関係性を円満にするためその養子となって、越前福井藩主に。
徳川御三家の祖となった3人は、9男、10男、11男で、家康が50代後半〜60代に生まれた孫のような存在。
存命中の指示は、将軍家に何かあれば、尾張藩主・徳川義直を将軍にというもので、生前には御三家という存在はありませんでした。
徳川家康の16人の子供たち 全リスト
| 生まれ順 | 名前 | 役職・嫁ぎ先 | 没年齢 | 母親 |
| 長男 | 松平信康 まつだいらのぶやす (嫡男) | 三河岡崎城主 | 満20歳 (切腹) | 築山殿 |
| 長女 | 亀姫 かめひめ | 新城城主・奥平信昌の正室 | 満65歳 | 築山殿 |
| 次女 | 督姫 とくひめ | 小田原城主・北条氏直の正室 三河吉田城主・池田輝政の正室 (北条氏滅亡後、秀吉の斡旋で) 輝政は播磨姫路藩主に | 満39歳 | 西郡局 |
| 次男 | 結城秀康 ゆうきひでやす (豊臣秀吉の養子に) | 越前福井藩主 | 満33歳 | 於古茶 (長勝院) |
| 3男 | 徳川秀忠 とくがわひでただ | 第2代将軍 | 満52歳 | 西郷局 (宝台院) |
| 4男 | 松平忠吉 まつだいらただよし | 武蔵忍藩主 尾張清洲藩主 | 満26歳 | 西郷局 (宝台院) |
| 3女 | 振姫 ふりひめ | 蒲生秀行の正室 (秀吉の命で) 秀行は陸奥会津藩主に | 満37歳 | 下山殿 (妙真院) |
| 5男 | 松平信吉(武田信吉) まつだいらのぶよし (武田氏を再興) | 下総佐倉藩主 常陸水戸藩主 | 満19歳 | 下山殿 (妙真院) |
| 6男 | 松平忠輝 まつだいらただてる | 武蔵深谷藩主 下総佐倉藩主 信濃川中島藩主 越後高田藩主 | 満90歳 | 茶阿局 (朝覚院) |
| 7男 | 松平松千代 まつだいらまつちよ | 武蔵深谷藩主 | 満4歳 | 茶阿局 (朝覚院) |
| 8男 | 松平仙千代 まつだいらせんちよ | 次期・前橋城主 | 満4歳 | 於亀 (相応院) |
| 4女 | 松姫 まつひめ | 病弱で早世 | 満1歳 | 於久? 於梶? (不詳) |
| 9男 | 徳川義直 とくがわよしなお | 甲斐甲府藩主 尾張清洲藩主 尾張藩主 御三家・尾張徳川家の祖 | 満49歳 | 於亀 (相応院) |
| 10男 | 徳川頼宣 とくがわ よりのぶ | 常陸水戸藩主 駿河駿府藩主 紀伊和歌山藩主 御三家・紀州徳川家の祖 | 満68歳 | 於万 (養珠院) |
| 11男 | 徳川頼房 とくがわよりふさ | 常陸下妻藩主 常陸水戸藩主 御三家・水戸徳川家の祖 | 満57歳 | 於万 (養珠院) |
| 5女 | 市姫 いちひめ | 伊達政宗の嫡男・虎菊丸と婚約 | 満3歳 | 於梶 (英勝院) |
| 徳川家康の「子供たち」(11男5女) 全リスト | |
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