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久保市乙剣宮

久保市乙剣宮

石川県金沢市下新町、商家が並ぶ尾張町に鎮座する古社が久保市乙剣宮(くぼいちおとつるぎぐう)。江戸時代には卯辰山の真言宗金剛寺と神仏習合でしたが、明治初年の神仏分離で、卯辰山(うたつやま)から現在の地に遷座したもの。祭神は素戔嗚命(すさのおのみこと)。

境内は幼い頃の泉鏡花の遊び場

『金沢市史』などによれば、加賀国小坂荘(現在の疋田、浅野本町、清水町、橋場町など浅野川流域北岸、および金腐川中流域を敷地とする荘園)久保市村の産土神(うぶすながみ)でしたが、慶長6年、總構堀の構築で卯辰山に遷り、明治の神仏分離で、別当(神社を管理する寺)・法住坊の僧は神職となり、寺号を配して神社となっています。
現在の祭神は素戔嗚命(すさのおのみこと)ですが、神仏習合時代には、白山比咩神(しらやまひめのかみ=白山権現)の第4子、乙剣大明神だったと推測されています。

近くには金沢三文豪(徳田秋聲、室生犀星、泉鏡花)のひとり、泉鏡花の生家があり(生家跡に泉鏡花記念館が建っています)、久保市乙剣宮境内は幼い頃の鏡花の遊び場だったといわれています。
一の鳥居脇に泉鏡花筆跡の「うつくしや鴬あけの明星に」の句碑が立つのはそのため。

また、境内には市の指定保存樹にもなる20mに達するケヤキの大木がそびえています。

久保市乙剣宮境内から主計町茶屋街(かずえまちちゃやがい)に下る坂道が暗がり坂。
泉鏡花は暗がり坂を通学路にし、中の橋を渡り、浅野川の対岸にある養成小学校(明治13年入学、現・金沢市立馬場小学校)に通っていたのです。

久保市乙剣宮
名称 久保市乙剣宮/くぼいちおとつるぎぐう
所在地 石川県金沢市尾張町2-16-72
関連HP 金沢市観光協会公式ホームページ
電車・バスで JR金沢駅から北陸鉄道バス橋場町経由柳橋・東部車庫行きで10分、橋場町下車、徒歩4分
ドライブで 北陸自動車道金沢西ICから約5km
駐車場 6台/無料
問い合わせ 久保市乙剣宮 TEL:076-221-2894
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

暗がり坂

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主計町茶屋街

金沢の庶民が通った花街(はなまち)が浅野川沿いにある主計町茶屋街(かずえまちちゃやがい)。戦前まで鼻の下を伸ばした男たちは、中の橋をいそいそと渡り、人目に付かないように「暗がり坂」の石段を歩いて、主計町に通ったのだとか。美しい街並みは金沢市

泉鏡花記念館

明治の中頃から、大正、昭和にかけて300編あまりの作品を発表し、徳田秋聲、室生犀星と並んで「金沢三大文豪」にも数えられる泉鏡花の足跡を紹介するのが泉鏡花記念館。泉鏡花記念館は鏡花の生家跡(金沢下新町23番地)に建てられ、作品紹介にとどまらず

瀧の白糸像

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中の橋

浅野川大橋の下流側に架かる歩行者専用の木造の橋が中の橋。東山から主計町茶屋街(かずえまちちゃやがい)に通うには便利な橋です。藩政時代の末期に住民が有料の「一文橋」として架けたのが始まり。昭和28年の大水で流出しましたが昭和50年に再建されて

 

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