寿永4年(1185年)、奥州・平泉に逃れるため、海沿いに日本海を北上した源義経。能登には、義経伝説が数多く残されていますが、そのひとつが志賀町のヤセの断崖近くにある義経の舟隠し。折からの激しい嵐を避けるため、この入り江に舟を隠したと伝えら、隠した舟の数は48艘にも及んだといわれています。
能登に残される「義経伝説の地」のひとつ
水路のようになった細長い入江は、舟を隠すという伝説もうなずけるような形状。
能登を代表する景勝地、ヤセの断崖とは徒歩5分ほどの遊歩道でつながっています。
源義経がどの経路で奥州・平泉を目指したのかは実は定かでありません。
鎌倉幕府の公的編纂とされる『吾妻鏡』には、「日来所々に隠れ住み、度々追捕使の害を遁れ訖んぬ。遂に伊勢、美濃等の国を経て、奥州に赴く」と、あっさりと記されているにすぎません。
美濃(岐阜県南部)からどう落ち延びたかに関しては一切触れられていないのです。
室町時代初期に記された作者不詳の軍記物語『義経記』(ぎけいき)には、北陸道で加越国境(石川・富山県境)の倶利伽羅峠(くりからとうげ)を越えたことがかなり詳細に記されていますが、残念ながら史料価値はほとんどありません。
能の演目『安宅』から、現代の大河ドラマに至るまで、北陸道を通っていますが、まったく裏付けはないのです。
ただし、当時の物流ルートを考えれば、日本海沿いで、要所で舟を使ったということは容易に想像ができます。
北陸道を歩み、能登半島の付け根に位置する倶利伽羅峠を通ったと考えれば、わざわざ能登半島を回るのはおかしいということになるのです。
義経の舟隠し | |
名称 | 義経の舟隠し/よしつねのふなかくし |
所在地 | 石川県羽咋郡志賀町前浜 |
関連HP | 志賀町公式ホームページ |
電車・バスで | JR羽咋駅から能登西部バス富来行きで1時間3分、終点下車、関野経由門前行きに乗り換え32分、前浜下車、徒歩15分 |
ドライブで | 能登有料道路西山ICから約32km |
駐車場 | ヤセの断崖駐車場(70台/無料)を利用 |
問い合わせ | 志賀町商工観光課 TEL:0767-32-1111 |
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