石川県加賀市大聖寺にある古社が菅生石部神社(すごういそべじんじゃ)。古来、朝廷の崇拝を受け、平安時代編纂の『延喜式神名帳』にも加賀国(かがのくに)二之宮に列せられて記載される式内社。流行病(はやりやまい)に御利益があると有名で、近世には大聖寺藩歴代藩主の崇敬を受け繁栄しています。
中世の天神信仰から「敷地天神」とも
社伝によれば、飛鳥時代の用明天皇元年(585年)、加賀で疾病が流行したとき、宮中で祀られていた神々(現・菅生石部神)が勧請されたことで創建という古社。
菅生石部神は、日子穂穂出見命(ひこほほでみのみこと=彦火火出見尊/山幸彦)、豊玉毘賣命(とよたまびめのみこと=竜宮に住むとされる海神の娘) 、鵜葺草葺不含命(うがやふきあえずのみこと=日子穂穂出見命の子)の3柱の総称とされています。
『平家物語』巻第七には、寿永2年5月12日(1183年6月3日)、志保山の戦い(しおやまのたたかい=能登国と越中国の国境、志保山での合戦)で平家の搦め手を破った木曾義仲(きそよしなか=源義仲)が能美の荘(現・能美市周辺)を寄進したことが記されています。
中世には神社の鎮座する福田庄一帯が京の北野天満宮領となったことで、菅原道真を信仰する天神信仰が隆盛し、境内には菅原社も鎮座しています。
寺宝には足利氏の寄進状や、加賀藩第2代藩主・前田利常(まえだとしつね)の夫人・天徳院(徳川2代将軍秀忠の娘)が寄進した『蒔絵角赤手箱(まきえすみあかてばこ)』(重要文化財)などの文化財も多数。
毎年2月10日に斎行される『御願神事』(ごんがんしんじ=竹割り祭り)は、悪い大蛇を退治するために生まれた神事で、白装束の若者が400本の青竹を境内で割り、その竹片を持ち帰れば災難疫病を免れるといわれています。
また7月24日~7月26日には、『しきぢ天神講』(敷地天神講)が斎行され、夏越の祓、疫神塚神事、湯の花神事などが執り行なわれます。
コロナの蔓延などで、疫病退散の社として注目を集め、御札なども人気です。
加賀国の国府は能美郡、現在の小松市古府町だと推測され(国庁跡の遺構は見つかっていません)、国司が参拝した総社は、石部神社(小松市古府)、一之宮は白山比咩神社(白山市)です。
菅生石部神社は全国の斎藤さんの氏神!
平安時代の前期、敦賀に居館を構えたと伝えられる藤原利仁(ふじわらのとしひと)の子、藤原叙用(ふじわらののぶもち)は、斎宮頭(さいぐうのかみ=神宮に奉仕していた未婚の皇女・斎宮の世話を職掌とする斎宮寮の長官)を任ぜられ、それを名誉と考えて、「斎宮の藤原」略して「斎藤」と名乗り、さらに菅生石部神社に祀られる天神を氏神として、一族の繁栄を願っています。
その後、斎藤氏は美濃国(現・岐阜県南部)の目代に任ぜられ、美濃に遷りますが、その際、氏神の菅生石部神社の分霊を勧請したので、美濃国には菅生石部神社が17社もあるのです。
また菅生石部神社の分散とともに、斎藤氏も全国に拡散して隆盛。
菅生石部神社は、斎藤氏のルーツの社、全国の斎藤さんの氏神ともいえるのです。
菅生石部神社 | |
名称 | 菅生石部神社/すごういそべじんじゃ |
所在地 | 石川県加賀市大聖寺敷地ル-乙81-2 |
関連HP | 菅生石部神社公式ホームページ |
電車・バスで | JR大聖寺駅から徒歩25分、またはタクシーで5分 |
ドライブで | 北陸自動車道加賀ICから約4km |
駐車場 | 30台/無料 |
問い合わせ | 菅生石部神社 TEL:0761-72-0412 |
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