幕末の戊辰戦争(ぼしんせんそう)時に砲台が置かれた黒崎御台場(くろさきおだいば)。南部藩(盛岡藩)の大砲、二貫目銅筒を復元して配置しているのが黒崎砲台跡です。黒崎御台場の周囲には土塁を巡らせ、砲台場、火薬庫詰め所を配置。打ち方と手伝い人6名を常駐させて黒崎の断崖の上の木の間から沖行く船を見張ったのです。
幕末の砲台跡に大砲を復元
当時、まだまだ辺境の地だったこの場所が歴史の激動を避けて通れなかった事実を物語っています。
明治元年の戊辰戦争では東北列藩同盟として旧幕府方に与した南部藩は、北航してくる官軍艦船8隻を待ち受けます。
普代浜では宮古湾海戦に敗れた旧幕府軍「高雄」が官軍の砲撃で羅賀浦に座礁。
旧幕府軍の旗艦「回天」は箱館(現・函館)に撤退。
南部藩も明治元年9月20日に新政府に降伏しています。
江戸時代初期から海防を重視した南部藩は、1792(寛政4)年、ロシヤの船が来航したことから、藩領だった現在の岩手県釜石市から青森県の野辺地にかけての海岸線の随所に遠見船番所を設けて外国船を警戒。
幕末になると大砲を備えた砲台場を30ヶ所以上配するなど防衛を強化しています。
黒崎に砲台が築かれたのは幕末の1856(安政3)年のことで、戊辰戦争に対する備えでもあったのです。
黒崎砲台跡 | |
名称 | 黒崎砲台跡/くろさきほうだいあと |
所在地 | 岩手県下閉伊郡普代村第2地割 |
電車・バスで | 三陸鉄道北リアス線普代駅からタクシーで10分 |
ドライブで | 東北自動車道軽米ICから約77km |
駐車場 | 100台(国民宿舎くろさき荘前・黒崎展望台入口) |
問い合わせ | 普代村商工観光課 TEL:0194-35-2115 |
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