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北山寺院群・寺町通り(盛岡市)

北山寺院群・寺町通り(盛岡市)

岩手県盛岡市、城下町・盛岡の北の寺町である北山寺院群は、石川啄木、宮沢賢治ゆかりの地。城下町の北辺の愛宕山麓に広がる寺町で、盛岡城の北方防備の役割をも担って、城下の町割りと同時に形成されたもの。北山寺院群を寺町通り旧国道455号)が縦断していますが「日本の道100選」に選定されています。

寺町通りは、日本の道100選」に選定

盛岡城の北方を防備する北山寺院群の寺は、教浄寺(時宗)、報恩寺(曹洞宗)、源勝寺(曹洞宗)、清養院(曹洞宗)、法華寺(日蓮宗)、願教寺(浄土真宗)、徳玄寺(浄土真宗)、真行寺(浄土真宗)など宗派も多様で、五百羅漢で有名な報恩寺は三戸に開創されたされた南部氏の菩提寺。
岩手県稗貫郡里川口村(現・花巻市)出身の宮沢賢治は、大正2年、岩手県立盛岡中学校(現・盛岡第一高等学校)の4年生の時、北山寺院群の清養院(曹洞宗)、徳玄寺(浄土真宗)に下宿、五百羅漢のある報恩寺(曹洞宗)に参禅していました。

龍谷寺は、石川啄木の伯父・葛原対月(かつはらたいげつ)が住職を務めていたことがあり、啄木もたびたび訪れています(啄木の父・一禎は葛原対月の弟子、母・カツは葛原対月の妹でふたりは龍谷寺で出会っています)。
また、石川啄木の詩集『あこがれ』のなかの「落瓦の賦」は報徳寺をうたったものです。

寺町通りとして日本の道100選に選定される旧国道455号は、電柱が地中埋設され、南部鉄器の街路灯や石畳風の歩道も整備、散策にも絶好です。
一帯の19.7haは「北山寺院群地区」として盛岡市の環境保護地区に選定されています(盛岡市には大慈寺周辺の下寺院群と2つの寺町があります)。

国道455号は、三陸海岸の小本(現・岩泉町)から早坂峠(早坂高原)を越え、盛岡城下へと塩や海産物を運んだかつての小本街道(盛岡〜岩泉は本野田街道と重複)。
岩泉が『南部牛追唄』発祥の地であるように、険しい峠越えの道を牛の背に荷物を積んで越えたのです。

北山寺院群・寺町通り(盛岡市)
名称 北山寺院群・寺町通り(盛岡市)/きたやまじいんぐん・てらまちどおり(もりおかし)
所在地 岩手県盛岡市名須川町
関連HP 盛岡観光コンベンション協会公式ホームページ
電車・バスで JR上盛岡駅から徒歩8分。または、JR盛岡駅から徒歩25分
ドライブで 東北自動車道盛岡ICから約6.5km
問い合わせ 盛岡観光コンベンション協会 TEL:019-604-3300/FAX:019-653-4417
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

報恩寺

岩手県盛岡市にある石川啄木、宮沢賢治ゆかりの曹洞宗の寺が報恩寺(ほうおんじ)。報恩寺は、盛岡市街の北の寺町(北山・名須川寺院群)に位置し、藩政時代には、盛岡五山のひとつに数えられていたという歴史ある古刹。石川啄木の詩集『あこがれ』のなかの「

徳玄寺

岩手県盛岡市名須川町にある真宗大谷派の寺、徳玄寺。もともと五戸(ごのへ=現・青森県五戸町)にあった寺で、藩主・南部氏が三戸(さんのへ)から盛岡に移るときに盛岡・北山寺院群に移っています。寺紋が藩主・南部氏と同じ「対い鶴に九曜」なのも南部藩と

龍谷寺

岩手県盛岡市、北山寺院群にある曹洞宗の禅寺が龍谷寺(りゅうこくじ)。明治4年~明治28年の間、石川啄木の母・カツの兄で歌人でもあった葛原対月(かつらはらたいげつ)が住職を務め、その縁で父・石川一禎と出会って両親が結婚したという寺。さらに、石

 

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