岩手県岩手郡岩手町の弓弭の泉(ゆはずのいずみ)を源流に、岩手県を縦断、宮城県石巻市で太平洋に注ぐ東北随一の長大な河川が北上川(きたかみがわ)。幹川流路延長は249kmで、日本第5位、流域面積1万150平方キロは日本第4位の規模です。本流には四十四田ダム(南部片富士湖)、一関遊水池、北上大堰が築かれています。
岩手県の産業と文化を支えた大河川
北上川の流域面積は、岩手県では岩手県土の5割ほど、宮城県では宮城県土の4割ほどを占め、とくに岩手県では北上川の流域に7割の人が暮らしています。
北上川沿いに中規模都市が点在し、河口の石巻市は宮城県東部第1の都市であることからも、北上川が産業、文化を支えてきたことがよくわかります。
歴史的にも平泉を拠点に花開いた、藤原清衡(ふじわらのきよひら)を初代とする奥州藤原三代の文化も、平泉を流れる北上川の舟運に負うところが大きいと推測できます。
藤原清衡・基衡の屋敷の柳之御所、源義経が館を構えた高館(判官館/はんがんだて)も北上川に臨む要害です。
藩政時代以降には治水事業も盛んに行なわれ、慶長15年(1610年)に完成した登米城主・伊達宗直(だてむねなお)の河道の付け替え(「相模土手」を築いて北上川を湾曲化)、伊達政宗の家臣・川村孫兵衛が元和2年(1616年)〜寛永3年(1626年)に実施した三川合流(北上川・迫川・江合川の合流)が知られています。
明治以降には野蒜築港(のびるちくこう/土木学会選奨土木遺産=明治三大築港)と旧北上川を結ぶ北上運河(明治15年完成)、石井閘門(明治13年完成、日本初の西洋式の本格的閘門/国の重要文化財)などが建設され、明治13年〜明治35年には石巻から盛岡までの低水路工事が行なわれ、蒸気船が上るようになっています。
文学にも登場し、岩手県花巻市、花巻駅東方2kmほどの場所にある北上川西岸(猿ヶ石川合流点)は、宮沢賢治が「全くもうイギリスあたりの白亜の海岸を歩いてゐるやうな気がするのでした」とドーバー海峡を想起し名付けた「イギリス海岸」です。
ちなみに源流に関しては河川法では岩手町の弓弭の泉(ゆはずのいずみ)とされていますが、八幡平市の七時雨山麓説(ななしぐれさんろくせつ=北上川最北の湧水池)、岩手町の丹藤川説(たんどうがわせつ)、八幡平市の西岳南東山腹標高522m地点説など諸説あり、定かでありません。
北上川源流・弓弭の泉|岩手県岩手町
柳之御所遺跡・高館義経堂|岩手県平泉町
北上川河口|宮城県石巻市
北上川 | |
名称 | 北上川/きたかみがわ |
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