吉永小百合が旅するテレビCMで注目のJR東日本大人の休日倶楽部。令和6年秋に放送のCMは、福井県「越前和紙の里篇」。ロケ地は、福井県越前市の岡太神社・大瀧神社です。紙祖神「川上御前」を祀る越前和紙の里らしい神社で、2つの神社が共有する下宮(里宮)の社殿は、「日本一複雑な屋根」とも称されています。
越前和紙1500年の伝統を今に受け継ぐ「今立五箇」へ!
2024年10月1日〜12月31日に行なわれるJRグループの『北陸デスティネーションキャンペーン』(北陸DC)に合わせての、今回の大人の休日倶楽部・福井県「越前和紙の里篇」。
越前和紙1500年の伝統を今に受け継ぐ「今立五箇」。
旧今立町岡本地区にある大滝、岩本、不老、新在家、定友の「五箇村」のことで、古くから上質な越前和紙の産地として知られ、戦国時代には織田信長や豊臣秀吉、江戸時代には徳川幕府の庇護を受けています。
現在も60ヶ所以上の和紙工房が稼働し、大きなボイラー室、協同作業場、蔵、古井戸など、「和紙の里」らしい光景が展開しています。
「今立五箇」のなかでも地区によって、卸屋の多いエリア、手漉き和紙工房の集落など、個性があるとのこと。
歩いてみるとわかることですが、和紙には清らかな水が欠かせませんが、和紙工房は清流・岡本川(おかもとがわ)近くの谷合に建ち並んでいます。
そんな越前和紙の里「今立五箇」のシンボル的な存在が、岡本川の上流、「今立五箇」の大滝地区にある岡太神社・大瀧神社。
田畑の少ない五箇地区の土地に紙漉きの技術を伝えたという女性(川上御前)を「紙祖神」として祀っています。
越前で漉(す)かれた現存する最古の紙は、奈良「正倉院」蔵の『越前国大税帳』(奈良時代の越前国の財政状況を伝える文書)で天平2年(730年) のもの。
この文書は、楮(こうぞ)が主原料の溜め漉き(一度だけ原料の入った水を汲み込み、簀桁を揺らして水を抜く紙漉きの手法)で作られており、奈良時代にはすでに越前和紙があったことになり、川上御前が実在するなら、天平以前、飛鳥時代ということに。
岡太神社・大瀧神社は、権現山を御神体に、山麓に下宮(里宮)、頂上に上宮(奥の院)が建っています。
上宮(奥の院)には岡太神社・大瀧神社の本殿が並んで建っていますが、下宮(里宮)は岡太神社・大瀧神社が共有する社殿(拝殿・本殿)。
拝殿と本殿が一体化し、檜皮葺き(ひわだぶき)の屋根が4層重なるという独特な設計になっています(国の重要文化財)。
岡太神社は雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)の御代に創建され、紙漉の業を伝えた女神・川上御前を紙祖の神として祀っています。
雄略天皇は、考古学的に実在が実証されている古墳時代(5世紀)の大王(当時はまだ天皇という呼称はありませんでした)ですが、これが事実なら1500年もの昔に紙漉きが伝えられたということに(帰化人などによって大陸の文化が伝わったのかもしれません)。
大瀧神社は、推古天皇(すいこてんのう)の御代(6世紀前半頃)、大伴連(おおとものむらじ)が創建したのが始まりと伝えられ、ヤマト王権時代からの歴史を今に伝えています。
「中でも紙漉きの技術を伝えたという「紙の神様」を祀る岡太神社・大瀧神社(おかもとじんじゃ・おおたきじんじゃ)には全国から製紙業者が参拝に訪れるほど。これからもずっと残したい、そんな土地だからこそ作られる千載不磨の紙の芸術。色褪せぬ歴史と伝統の里へ、あなたも。」(『大人の休日倶楽部』)
大人の休日倶楽部・福井県「越前和紙の里篇」で紹介の岡太神社・大瀧神社はここ! | |
所在地 | 福井県越前市大滝町13-1 |
場所 | 岡太神社・大瀧神社/おかもとじんじゃ・おおたきじんじゃ |
関連HP | 越前市観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR武生駅から福鉄バス南越線で28分、和紙の里下車、徒歩10分 |
ドライブで | 北陸自動車道武生ICから約5km |
駐車場 | 10台/無料 |
問い合わせ | 岡太神社・大瀧神社社務所 TEL:0778-42-1151 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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