高松城の内苑御庭北側の北の丸にあり、北から月見櫓・水手御門・渡櫓と連続している重要文化財の櫓。月見櫓は1676(延宝4)年の上棟で、3つの建築物ともその前後の築年と推測され、国の重要文化財に指定されてます。今治城(愛媛県今治市)、中津城(大分県中津市)と並んで日本三大水城に数えられる高松城らしい櫓です。
海側の防衛拠点の櫓は天守に次ぐ重要な櫓
月見櫓も「月を見る」のではなく「着くのを見る」の転訛で、御座船の着船や瀬戸内海の警備を目的とした櫓だったのです。
1676(延宝4)年築の月見櫓は、「高松城の海の大手門」として機能し、瀬戸内海側からの出入口となる水手御門の防衛を担っていました。
参勤交代で江戸から帰国する藩主の船を出迎えるために建てられた櫓で、見張り方の役人が常勤していました。
かつては最上階は望楼風だったとか。
天守に次ぐ重要な櫓と位置付けられたために付櫓(続櫓)が付属しています。
唐破風、切妻破風を多様する斬新なデザインなのは、当然、海からの眺めを意識してのことでしょう(一層目は、東西に切妻破風、南北に唐破風。二層目は、東西に唐破風、最上層は破風なし)。
外観からはわかりませんが、二層目、三層目の内部には「隠狭間」(かくしざま)が配されています。
平時には壁が塗られて隠されていますが、戦時には簡単に壁を壊して、狭間から鉄砲を放つことができるという不意打ちで敵を倒すという工夫です。
出窓式石落としは、西面と北面に取り付けられています。
一連の建物がある北の丸は、1671(寛文11)年に城を拡張させて作った曲輪(くるわ)で、じっくり見学すると、一部の石垣には「石垣継ぎ足し痕跡」があります。
高松城の主要部分の拡張に伴う普請(ふしん=建設工事)が、1671(寛文11)年から始まります。
最初に三の丸東側に東の丸を造り、さらに三の丸東北側を埋め立て、新曲輪として北の丸を造成したのです。
1676(延宝4)年、高松藩2代藩主・松平頼常が、北の丸に、月見櫓、続櫓、水手御門、渡櫓、鹿櫓、そして月見櫓と鹿櫓を結んで多聞櫓を築きました。
高松城・月見櫓 | |
名称 | 高松城・月見櫓/たかまつじょう・つきみやぐら |
所在地 | 香川県高松市玉藻町2-1 |
関連HP | 高松城(玉藻公園)公式ホームページ |
電車・バスで | JR高松駅から徒歩3分 |
ドライブで | 高松自動車道高松中央ICから約6km |
駐車場 | 玉藻公園駐車場(57台/無料) |
問い合わせ | 玉藻公園管理事務所 TEL:087-851-1521/FAX:087-823-6390 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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