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高松城二の丸

JR高松駅やことでん高松築港駅に近い玉藻公園の西口を入ると高松城二の丸。江戸時代には、現在の西口あたりに西の丸からの二の丸入口となる刎橋口(はねばしぐち)と呼ばれる門がありました。三の丸側から入る鉄門(くろがねもん)が二の丸の正門として機能していましたが、今では周囲の石垣が残るのみとなっています。

往時には5つの隅櫓で守られていた!

内堀越しに眺めた二の丸の石垣

高松城二の丸は、三の丸、北の丸と同様に直接瀬戸内海に面していましたが、北側の瀬戸内海側(水城通り側)と、西側(中央通り側)の内堀が埋め立てられており、内堀側にはことでん高松築港駅が建っています。

本丸を守る役割を担う第二の曲輪(くるわ)が二の丸で、豊臣政権の生駒時代から松平氏の初期には、藩主の御殿が建っていました。
御殿は1671(寛文11)年に三の丸に建てられたため、二の丸御殿は取り壊され、二の丸の5つの隅櫓(簾櫓、弼櫓、文櫓、武櫓、黒鉄櫓)を残して中心を広場とし、戦時に備えた構えとなりました。

東西25間×南北52間という二の丸の中心部には何もありませんが、藩政時代もここは広場だったのです。
一層の弼櫓(ゆみだめやぐら)、一層の文櫓、二層の簾櫓(れんやぐら)、二層の武櫓、一層の黒鉄櫓の跡は石垣だけが現存しています。

二の丸から本丸へは唯一の通路として「鞘橋(廊下橋)」が架かっていました。
現存する鞘橋は、明治17年の天守取り壊しの際に建て替えられたもので、昭和45年〜46年に大規模な解体復元修理が施されています。

二の丸では毎年3月中旬〜4月上旬に『春の植木市』、10月中旬〜11月下旬に『高松市菊花展競技会』が開催されています。

簾櫓の石垣
文櫓の石垣
高松城二の丸
名称高松城二の丸/たかまつじょうにのまる
所在地香川県高松市玉藻町2-1
関連HP高松城(玉藻公園)公式ホームページ
電車・バスでJR高松駅から徒歩3分
ドライブで高松自動車道高松中央ICから約6km
駐車場玉藻公園駐車場(57台/無料)
問い合わせ玉藻公園管理事務所 TEL:087-851-1521/FAX:087-823-6390
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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