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行きはよいよい帰りはホームもなし!の、偕楽園駅

偕楽園駅

JR東日本・常磐線の駅、偕楽園駅(かいらくえんえき)。日本三名園のひとつに数えられる偕楽園の玄関駅として梅の開花期のみに開設される臨時駅で、東京から水戸方面への下り列車は特急も停車しますが、帰りの上り列車はホームすらなく、全列車が通過します。ではでは、どうやって家路につく?

上りホームがないのは、開設時の人力車対策!?

ホーム、出入りできるのも下り線側のみ

兼六園(金沢市)、後楽園(岡山市)と並んで、日本三名園に数えられる偕楽園(茨城県水戸市)。
大正14年2月2日、鉄道省の公園下仮降車場として開設された歴史ある臨時駅が、偕楽園駅。
明治時代まで、東京で観梅といえば日帰りで行楽できる大森、蒲田、亀戸などの近郷に限られ、当時まだ常磐公園と呼ばれた偕楽園も、「道路の便悪きを以て名花をして久しく夜錦に附し」(交通の便が悪く、誰も見る人がいない)という状況でした。
東京から鉄道で梅を水戸まで見に行くのはかなりの風流人とされた時代です。

当時の水戸鉄道が、日本鉄道に合併した明治25年には、『東京日日新聞』など東京の新聞各社に水戸観梅の案内と合わせて無料切符を配布してPRを開始、翌明治26年には、観梅期間に限定した上野〜水戸間の「割引往復乗車切手」(往復割引乗車券)を販売しています。
「上野発午前六時三十分、水戸発午後四時五十四分」で、「水戸に於て遊覧の暇五時間あり」ということになり、日帰りでの観梅もPRされるようになりました。

明治33年には「急行列車特別仕立」の観梅列車(団体専用列車)も運転されますが、まだ水戸停車場(水戸駅)に発着し、停車場から偕楽園へは人力車で移動しています。
この成功を受け、日本鉄道は、翌明治34年から個人向けの水戸観梅臨時列車を運転、水戸停車場から人力車の長い列ができるようになったのです。

毎年訪れる観梅客の増加により、水戸観梅臨時列車運転10年目となる明治43年には、水戸駅長・福富孝策が主導し、常磐公園(偕楽園)下に仮ホームを設置し、観梅列車を停車させるようにしたのです。
人力車の車夫は稼ぎの良い仕事を失うことになるため、旅館や料理屋の主人、車夫の代表者などと綿密に協議し計画よりも1年延期してのホーム開設でした。
当初は水戸駅の飛び地としての運用でしたが、大正14年2月2日に晴れて公園下仮降車場として正式に認められたのです。
これが現在の偕楽園駅(臨時駅)ですが、梅まつりの時期に合わせて営業する臨時駅であること、単式ホーム1面1線という形状は、今も変わりません(ホームは11両編成まで対応可能で、車両がはみ出てドアが開かないというドアカットはありません)。

当初は予算、敷地の都合もあったのでしょうが、下り列車で観梅した人は、人力車、もしくは徒歩で水戸停車場まで戻るスタイルだったので、人力車の代表者との話し合いで、上りホームだけというのが折衷案だったのかもしれません。

このスタイルは今も踏襲されているので、下り(水戸方面)へは特急を含めて全列車が停車するのに対し、上り(上野方面)は普通列車も通過するという珍しい駅になっているのです。

帰路はどうすればいいのか? という疑問も生まれますが、答えは単純で、列車利用の場合は水戸まで行って折り返すだけ。
人力車の代わりにバスで水戸駅へと移動する手もあります(関東鉄道バスで9分)。

少しめんどうですが、水戸駅で土産、駅弁(「水戸 印籠弁当」などが人気です)を買ったりもできるので、便利な面もあります。

行きはよいよい帰りはホームもなし!の、偕楽園駅
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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