「日本最古のイエネコ」は壱岐・カラカミ遺跡から出土

カラカミ遺跡

長崎県壱岐市、日本海に浮かぶ壱岐島は、3世紀の中国の史書『魏志倭人伝』に一支国(いきこく)と記された、古代貿易の盛んなクニ。そんな壱岐島の中央部にあるカラカミ遺跡から出土したのが、「日本最古のイエネコ」。カラカミ遺跡は弥生時代の環濠集落の跡で、イエネコは弥生時代に飼われていたと推測されます。

歴史を塗り替えた日本最古のイエネコの骨

カラカミ遺跡
2世紀のイエネコの骨が出土したカラカミ遺跡

「日本最古のイエネコ」が出土した遺跡は、紀元1世紀~3世紀、つまりは魏の使者が女王・卑弥呼が統治した邪馬台国を目指した頃、あるいはその少し前ということに。
2008年の調査でイエネコの骨13点が出土していましが、時代が特定できる地層、場所ではなかったこと、小柄でヤマネコの可能性もあったため、大発見には至りませんでした。

2011年の壱岐市による発掘調査で出土した弥生時代後期半ば(紀元1世紀~3世紀)の遺物1882点のうち、723点を奈良文化財研究所で詳しく分析。
その結果、1点がイエネコの橈骨(とうこつ=前腕の骨)であることが判明。
放射性炭素年代測定でも、紀元前2世紀ごろ、弥生時代のものと判定されたのです。

イエネコはもともと日本には生息せず、これまで、各種文献から平安時代の8世紀ころに、遣唐使で日本に持ち込まれたと考えられてきました。
しかも、それはあくまで文献上の登場で、出土例では神奈川県鎌倉市の千葉地東遺跡など2ヶ所から、鎌倉時代(13世紀)のイエネコの骨の出土が「日本最古のイエネコの骨」となっていました。

近年の発掘調査でイエネコの足跡がついた6世紀末~7世紀初頭の須恵器が出土、イエネコの起源が古墳時代まで遡ることが推定されていましたが、今回のカラカミ遺跡からの発見で、弥生時代からイエネコが飼われていたことが判明。

実はカラカミ遺跡から出土したイエネコの骨も、研究者は当初「後世のものの混入」と考えていたのだとか。
「もしかしたら、弥生時代にイエネコを飼っていた可能性が」と考えて放射性炭素年代測定をしてみたら、なんと弥生時代の骨(2138年±24年前のもの)だったことが判明、まさに「歴史を塗り替えた日本最古のイエネコの骨」ということに。

ネズミ対策で飼育されていたのか、はたまた愛玩動物だったのかは定かでありませんが、弥生時代にはすでに大陸から海をわたってイエネコが持ち込まれ、一支国のムラで飼育されていたことは明らかです。

ちなみにイエネコは、北アフリカから中近東にかけて生息するリビアヤマネコが祖先。
1万年前、穀物をネズミから守る動物として家畜化が始まったと推測され、その後、シルクロード経由で中国にわたったと推測されています。
ただし、中国伝来は、8世紀(唐の時代)という研究結果があり、壱岐の「2世紀に飼育」とは大きな隔たりが生まれています。

現在の壱岐にはヤマネコは存在していませんが、一支国の王都とも推測される壱岐・原の辻遺跡からは、ヤマネコの骨が出土。
カラカミ遺跡出土の骨もベンガルヤマネコの極東亜種であるアムールヤマネコと考える研究者もいて、今後の研究、DNAの解析などが待たれるところ(DNAの解析では、骨の一部を損傷するために現在は行なわれていません)。

「日本最古のイエネコ」は壱岐・カラカミ遺跡から出土
所在地 長崎県壱岐市勝本町立石東触
場所 壱岐・カラカミ遺跡
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

日本猫の「祖先」は、平安時代に日本に到来!?

日本猫(和猫)には血統書がなく、すべて雑種です。古代、日本列島にはヤマネコは生息していたものの(食用にもなっていました)、イエネコはいませんでした。アニコム先進医療研究所研究開発部が猫の血液から遺伝情報を解析したところ、900年前の平安時代

 

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