鹿児島県奄美市笠利町、奄美大島の東端、あやまる岬の基部に建つのが、奄美市歴史民俗資料館。古代から海上交通の要衝に位置した奄美大島ですが、「奄美の歴史と文化―黒潮の足跡―」をテーマに、その歴史を解説するミュージアムで、考古資料展示室、民俗資料展示室があります。
奄美大島の考古資料、民俗資料を展示
奄美市歴史民俗資料館の建つ、奄美市笠利町は、宇宿貝塚(国の史跡)、赤木名跡(国の史跡)、城間トフル墓群(鹿児島県の史跡)、土盛喜子川遺跡、土盛マツノト遺跡、用見崎遺跡など奄美と中国、本土との交流を実証する多数の遺跡が集中するエリア。
考古資料展示室では、「遺跡・遺物でたどる3万年の歴史」と題し、旧石器時代から中世までの出土資料を年代順に展示。
民俗資料展示室では、戦前に使われていた民具などの実物を展示し、往時の島の生活を偲ぶことができます。
奄美空港から車で10分ほどの位置にあり、その途中には縄文時代前期から中世にいたる複合遺跡・宇宿貝塚を保存公園化した「宇宿貝塚史跡公園」があり、発掘調査の跡がそのまま建物内に保存され、見学が可能(昭和61年、奄美群島で初の国の史跡に指定)。
奄美市歴史民俗資料館、宇宿貝塚史跡公園の共通券もあり、利用がおすすめです。
奄美の歴史を学ぶことは、日本の歴史をたどるヒントに!
奄美大島の喜子川遺跡(奄美市笠利町)、ガラ竿遺跡(伊仙町)からは、2万6000年前~2万9000年前に噴火、降灰したと考えられる姶良カルデラ(あいらかるでら)から噴出した姶良Tn火山灰(あいらたんざわかざんばい)の堆積層の下層から遺跡が発掘されているので、旧石器時代には、すでに奄美群島で人が暮らしていたことが判明しています。
南西諸島の初期人類の系譜はまだ明らかではなく、歴史教科書にも記載のない奄美群島ですが、「日本人はどこから来たのか」というテーマにも欠かせない場所として、近年、重要性(日本の歴史を理解する上で、奄美群島史は「欠かせない」地域史という考え方)が増しているのです。
琉球王国統治時代の中世の歴史でも、日宋貿易に欠かせない重要地域として機能し、世界遺産「平泉の文化遺産」に登録される平泉・中尊寺金色堂で用いられている数千個といわれる夜光貝も、奄美群島北半から運び出された可能性が高いとされているのです。
奄美市歴史民俗資料館 | |
名称 | 奄美市歴史民俗資料館/あまみしれきしみんぞくしりょうかん |
所在地 | 鹿児島県奄美市笠利町須野670 |
関連HP | 奄美市公式ホームページ |
電車・バスで | 奄美空港からしまバス佐仁行きで6分、あやまる岬下車、徒歩2分 |
ドライブで | 奄美空港から約5km |
駐車場 | あり/無料 |
問い合わせ | 奄美市歴史民俗資料館 TEL:0997-63-9531/FAX:0997-63-9531 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
最新情報をお届けします
Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!
Follow @tabi_mag