江戸時代には箱根権現(現・箱根神社)に詣でる箱根詣、丹沢大山の石尊権現に参詣の大山詣(現・大山寺、大山阿夫利神社)と並んで参詣者の多かったのが江の島の「裸弁財天」を拝む江島詣。その江島詣を今に伝える古社が、江の島島内に鎮座する江島神社で、辺津宮( へつみや ) 、中津宮、奥津宮があり、奥津宮がかつての本宮。
江戸時代には弁財天参詣が江島詣での目的
社伝では、欽明天皇13年(552年)に、岩窟(現在の江の島岩屋)に海の守り神、三女神を祀ったのが始まり。
寿永元年(1182年)、源頼朝が文覚(もんがく)に命じて岩屋に弁財天を祀らせ、繁栄しました。
明治初年の神仏分離、廃仏毀釈までは神仏習合の金亀山与願寺という寺で、岩本坊・上ノ坊・下ノ坊の3つの別当が、それぞれ岩屋本宮(現・奥津宮)・上之宮(中津宮)・下之宮(辺津宮)を管理していました。
なかでも岩本坊(岩本院)が総別当で、江島寺と通称され、全島の権益を有していました。
この岩本坊は神仏分離、廃仏毀釈の荒波で、宿坊から旅館へと転身し、現在では「岩本楼本館」(国の有形文化財にもなっているローマ風呂で有名)を営んでいます。
藤原秀衡調伏祈願のため、 源頼朝が文覚上人に命じて造らせたという鎌倉初期の作の八臂弁財天(はっぴべんざいてん/国の重要文化財)を祀る奉安殿が建つのが辺津宮。
八臂弁財天は勝運守護の神様として江戸時代には信仰され、江島詣の目的にもなっていたのです。
奉安殿には琵琶を抱えた裸体の座像・妙音弁財天(みょうおんべんざいてん/鎌倉時代中期以降の作で「裸弁財天」と通称)も安置され、音楽芸能の上達祈願に訪れる芸能人なども多いのだとか。
この妙音弁財天こそが「日本三大弁財天」のひとつ。
「日本三大弁財天」は、江島神社のほかに、宮島の厳島弁財天、琵琶湖に浮かぶ竹生島の弁天堂(天河大弁財天社を加える場合もあります)。
辺津宮は、建永元年(1206年)源実朝の創建で、祭神は田寸津比賣命(たづきひめのみこと)。
現存する権現造の建物は、神仏習合時代の延宝3年(1675年)の再建。
辺津宮の境内には、白竜王黄金浄水もあり、この水でお金を洗うとお金持ちになれるのだとか。
中津宮は、仁寿3年(853年)創建で、現存する権現造の社殿は元禄2年(1689年)の再建。
祭神は、市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)。
江戸の歌舞伎関係者が奉納した鳥居も残されています。
神仏習合時代の本宮である奥津宮の入母屋造の社殿は天保13年(1842年)再建。
祭神は多紀理比賣命(たきりびめのみこと/いずれの祭神も明治の神仏分離の際に改められたもの)。
石鳥居は源頼朝の奉納、そして拝殿天井には酒井抱一(さかいほういつ/江戸時代後期の絵師)の『八方睨みの亀』が描かれています。
4月の初巳の日に行なわれる『初巳例大祭』、10月の初亥の日の『初亥大祭』は、創建以来斎行される例大祭となっています。
ちなみに神社入口の鳥居前と江島神社は、江の島エスカー(昭和34年7月23日開通)と呼ばれる上り専用の有料エスカレーターが結んでおり、利用可能。
江島神社 | |
名称 | 江島神社/えのしまじんじゃ |
所在地 | 神奈川県藤沢市江の島2-3-8 |
関連HP | 江島神社公式ホームページ |
電車・バスで | 小田急線片瀬江ノ島駅から徒歩18分 |
ドライブで | 横浜横須賀道路朝比奈ICから約14km |
駐車場 | 江の島なぎさ駐車場(232台/有料) |
問い合わせ | 江島神社 TEL:0466-22-4020 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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