サイトアイコン ニッポン旅マガジン

箱根旧街道石畳(東坂)

箱根旧街道石畳(東坂)

箱根越えの旧東海道沿いには、箱根関所から東の畑宿寄りの東坂、三島宿へと下る西坂ともに石畳が整備されていました。街道時代の雰囲気が色濃く残るのが、元箱根〜畑宿間の東坂に残る石畳で、箱根旧街道石畳と通称されています。当時の石畳が現存するのは白水坂(しろみずさか)などごくわずかです。

排水溝や「斜めの排水路」も設置

雨後の石畳は滑るので注意が必要

東海道の箱根越えの道は江戸初期にはハコネダケを束ねて階段状に敷いただけで、雨後はぬかるみ、旅人は大いに難渋したといいます。
1406両を使って徳川幕府が2間幅(約3.6m)の石畳を整備したのは延宝8年(1680年)のことで、その後文久2年(1863年)、14代将軍・徳川家茂上洛の際に整備拡張されています。
江戸時代の石畳に使用されていた石材の大部分は、街道周辺の沢から運んだ安山岩です。
ベースには小石と小石を突き固め、その上に石を並べ、さらに石畳横にはちゃんと排水溝を築き、その横に土手を築いて並木を植えたのです。
石畳途中には上流側に小さな石、下流側に大きな石を斜めに敷いて段差をつくり出す「斜めの排水路」も設置され、大雨対策が施されていたこともわかっています。

畑宿から元箱根、さらに三島にかけては石畳の道が何ヶ所かあり、東坂と西坂の旧街道部分(杉並木、一里塚などを含め)計5.05kmが国史跡となっています。

排水溝とよく見ると「斜めの排水路」も

甘坂茶屋〜元箱根を歩こう!

甘酒茶屋側の入口、白水坂の始まり

当時の石畳が現存するのは白水坂(しろみずさか)、大澤坂などごくわずか。
江戸時代の石畳の場所は「これより江戸時代の石畳」という表示があるので、お見逃しなく。
白水坂であれば、排水溝や「斜めの排水路」の確認も可能です。

「甘酒茶屋」のある甘酒茶屋園地(箱根旧街道休憩所)から神奈川県道732号(湯本元箱根線)を横断して元箱根を目指して歩くと、県道を渡ってすぐの坂が白水坂。
元箱根までは1時間の道のりです。

石畳が歩きづらいのは、江戸へと進軍する大軍の進軍を阻むため、意図してでこぼこに造られているのです。
享保14年(1729)3月には、中国の貿易商・鄭大成から将軍・徳川吉宗へ献上する象が遠く、長崎から旅をし、箱根を越えたのですが、三島宿から西坂の石畳を上った箱根宿で疲労困憊して動けなくなってしまったという逸話も残されています。
箱根宿で好物の飴なしまんじゅう、ミカンを与えて看病し、東坂の石畳を下って無事に江戸に着きました(3月13日長崎出発、5月17日〜5月20日箱根越え、5月25日江戸到着)。

元箱根に近い権現坂。往時には箱根権現(現・箱根神社)への分岐があった
箱根旧街道石畳(東坂)
名称 箱根旧街道石畳(東坂)/はこねきゅうかいどういしだたみ(ひがしざか)
所在地 神奈川県足柄下郡箱根町畑宿
関連HP 箱根町観光協会公式ホームページ
電車・バスで 箱根登山鉄道箱根湯本駅から箱根登山バス畑宿経由元箱根行きで25分、旧街道石畳下車、徒歩1分
問い合わせ 箱根町総合観光案内所 TEL:0460-85-5700/FAX:0460-85-5721
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

箱根馬子唄の碑

「箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川」と唄う有名な『箱根馬子唄』(はこねまごうら)。馬子(まご)とは馬を引いて馬の背で荷物を運ぶ馬方のこと。畑宿から東海道の東坂を登りきった平坦地が八丁平(八町平)。馬子がひと息入れた場所で、ここに箱

旧街道杉並木

元和年間(1615年~1624年)に、箱根旧街道の美観を考慮して植林されたとも、箱根関所開設時に、川越城主・松平正綱によって設けられたともいわれている並木道が神奈川県箱根町にある旧街道杉並木。東海道では松並木が主体だが、冷涼な気候と箱根権現

七曲がり

神奈川県箱根町、旧東海道の箱根湯本から畑宿までは明治の末頃までに車道が通じていましたが、その先芦ノ湖までは昭和20年代まで、街道時代と変わらず山道を歩くしか手段がありませんでした。神奈川県道732号湯本元箱根線が完成したのは昭和48年。七曲

箱根旧街道休憩所

神奈川県足柄下郡箱根町、箱根旧街道の甘酒茶屋に隣接して建つのが、箱根旧街道休憩所。東海道の難所、箱根越えに関する資料や逸話を展示、紹介している資料館兼休憩所で、古い商家を移築し再生したもの。小ぢんまりしたスペースに、江戸時代の旅人の所持品を

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

モバイルバージョンを終了