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山手公園

神奈川県横浜市の山手地区にある明治3年5月6日に開設した日本初の西洋式公園が山手公園。横浜居留地に住む外国人が自らの手で開いた公園で、日本のテニス発祥の地でもあり、「旧居留地を源として各地に普及した近代娯楽産業発展の歩みを物語る」として経済産業省の近代化産業遺産群にも認定されています。

生麦事件を契機に、居留地の外国人が開設

文久2年(1862年)、川崎大師へピクニック(馬での遠乗り)に行こうとした上海在住のチャールス・リチャードソン(Charles Lennox Richardson)や横浜居留地に住む生糸商のウイリアム・マーシャル(William Marshall)など4人のイギリス人が、生麦村で島津久光の行列と遭遇(島津久光は藩主ではないので大名行列ではありませんが、それに準じた行列です)。
大名行列の列にそのまま騎乗して乗り入れたため無礼打ちにあうという事件(生麦事件)が発生。
居留地の横浜村からボートで神奈川宿まで行き、そこから東海道で川崎大師を目指すというのが、外国人遊歩区域が定められていた居留地に住む外国人に人気のピクニックコースだったのです。

この不幸なアクシデントとして発生した生麦事件を契機に、安心してピクニックや馬の遠乗りが楽しめる場所を求める声が横浜居留地の外国人から沸き起こり、イギリス、アメリカ、フランスの公使らが徳川幕府に山手地区にピクニックができる遊歩道と公園、防火帯、競馬場の開設を要求します。

当時の日本には、散策のための道、近代的な公園という概念はなく、交渉は難航しますが、生麦事件の翌年の文久3年(1863年)、イギリスの軍隊が山手に駐屯する(現在の港の見える丘公園一帯)などの軍事的な圧力、居留地大火からの復興もあって、ついに慶応2年(1866年)、「横濱居留地改造及競馬場墓地等約書」(CONVENTION OF IMPROVEMENT OF SETTLEMENT,RACE COURESE,CEMETERY,&c. OF YOKOHAMA)が締結されています(「慶応約書」と通称されています)。

このときは、公園の開設に至りませんでしたが、明治2年(1869年)、居留地住民代表のウィリアム・ヘンリー・スミス(William Henry Smith/横浜ユナイテッド・クラブの創設者で、後にグランド・ホテルの総支配人も務めました)から再度要望が出されたため、日本政府は「慶応約書」で約束した土地の代替として山手地区・妙香寺付近の土地6000坪を年403ドルという廉価で貸与しました。
これを外国人らが自らの手で整備して明治3年5月6日(1870年6月4日)に開園したのが山手公園です(開園当初の名称は「ブラフパブリックガーデン」/ブラフは英語で崖のこと=山手地区の通称名でした)。
明治9年には日本で初めてテニスがプレーされ、さらに明治11年には居留地の婦人たちが組織するテニスクラブ「レディズ・ローン・テニス・アンド・クロッケー・クラブ」(Ladies Lawn Tennis and Croquet Club/現・横浜インターナショナルテニスコミュニティ)が結成され、日本初のテニスコートを建設しています。
このテニスコートは、今もクレーコートとして健在で、創設時の地形をほぼそのまま残しています。

園内にはテニスコート、芝生広場などのほか、横浜山手テニス発祥記念館、旧山手68番館(山手公園管理センター)などがあります。
花見の名所にもなっていて、春には80本ほど植栽された桜が見事です。
園内(テニス発祥記念館周辺)に植えられたヒマラヤスギは、実は日本で最初の植栽。
ジャパン・ヘラルド社(The Japan Herald/居留地60番地で日本で最初の日刊新聞を発行)の社主でイギリス人ヘンリ-・ブルック(John Henry Brooke/山手公園の開設に尽力したウィリアム・ヘンリー・スミスは娘婿)が、カルカッタ(インド)からヒマラヤスギの種子を輸入し、山手居留地一帯やテニスコートを囲むようにに植えたのが始まり(クラブハウスの裏にあるヒマラヤスギは明治12年植栽、日本最古のもの)。

明治27年、横濱植木会社が設立し、苗木販売を開始。
同年、実生苗100本を新宿御苑に送るなど、国内のヒマラヤスギは山手公園から全国に広がっていったのです。

開港の歴史を伝える山手公園は、近代化産業遺産のほか、国の名勝、さらには元町公園、港の見える丘公園、山手イタリア山庭園とともに日本の歴史公園100選に指定されています。

名称 山手公園/やまてこうえん
所在地 横浜市中区山手町230
関連HP 山手公園公式ホームページ
電車・バスで JR石川町駅から徒歩12分。みなとみらい線元町・中華街駅から徒歩15分
ドライブで 首都高速道路狩場線新山下ICから約3㎞
駐車場 山手公園駐車場(20台/有料)など周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ TEL:045-641-1971
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

旧山手68番館

昭和9年に建てられた外国人向けの貸家で、昭和61年に山手公園に移築され、山手公園管理センターとして利用されています。隣接するテニスコートの受付などを行なっていますが、内部の見学は可能。山手公園は、明治3年に、横浜居留外国人の手によってつくら

横浜山手テニス発祥記念館

神奈川県横浜市の山手地区にある横浜市(横浜市緑の協会)管理の施設のひとつで、日本のテニス発祥の地(明治9年、山手公園で日本最初のローンテニスが行なわれました)である山手公園にあるのが横浜山手テニス発祥記念館。テニスウェアやラケットの変遷など

日本庭球発祥の地碑(テニス発祥の地)

日本で最初の洋式庭園として、横浜居留地に住む外国人が開設したのが神奈川県横浜市、山手地区にある山手公園。その一画、横浜山手テニス発祥記念館前のテニスコートの片隅に立つのが日本庭球発祥の地碑(碑文は「日本庭球発祥之地碑」)。実は、ここが明治9

 

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